明日アートを見る?

そう言えば、あまり人と話をしていない。
顔を合わせてお話しするっていうのは、よほど気が合った人じゃないとできない。
だいたい、気軽なおしゃべりというのができない性質なのかもしれない。
飲みに行くのは、しゃべる為ではなく、つまみを食い、酒を飲むためだ。
 
だいたい、ブログっていうのは、自分が自分にしゃべっているのだから、誰とも会話してるわけじゃない。
もちろん、”おおやけ”ってやつに向かって自分をアピールしてるつもりの人もいるだろうし、
コメントが多数寄せられて、それに返事を書くのが一苦労っていう”人気者”もいるだろう。
 
昨日、久しぶりに、ある女性からメールをもらった。
「文字にならない会話をしたい」という有難いお誘いだ。
そう、メールだけでやり取りしてるってのも、だいたい左脳に偏ってるおかしな行為なのかもしれない。
そういえば、ミクシィに書き込んだら、「迷惑だ」って個人宛にメールしてきた馬鹿女にブチ切れて、
それっきりってのもあった。
だいたい、”ネットで人気者”なんていうのは信用できないし、鼻持ちならないときがある。
病気のせいでイラつきやすくなっているが、マイミクを削除してやった。
その後どうなったか知らないが、ミクシィなるのものにも興ざめした。
だいたい、ネットで公開して”公”に掲示してんなら、荒らしや誹謗中傷じゃなければ、公開したままでちゃんとやり取りしろって思うのだが、当たり障りの無いことしか書かないのが無難でオシャレでいいらしい。
 
ところで、明日は、喫茶店に知人の絵を見に行く。
彼はネットなどやっていないし、そもそもパソコンすら持っていないかもしれない。
確か、TVもなかった。
たぶん、彼がいれば、いきなり彼の座っている前の席に座っても、文句は言わないはずだ。
「元気?」ってところから”会話”が始まるだろう。
「久しぶり、この前会ったのは・・・」
そして、「お前のしゃべりは、わたしのこのおしゃれな場の雰囲気にそぐわないから、悪いけどしゃべるな」
とは言わないだろう。
それも、誰にも聞かれないように耳元でそうささやき、周りのみんなに作り笑いをして見せたりはしないだろう。
そういう気心の知れた人には、ただコーヒーをすすって笑うだけかもしれない。
それでも、たぶん”会話”なのだ。
たぶん、”文字にならない何か”を、頭の中で考えている。あるいは思い出している。あるいは感じている。
そして、”文字にならない言葉”をしゃべる。
例えば、こんな感じに。
「どう? それで、最近?」
・・・最後に会ったときの場面が頭のなかを走馬灯のように駆け巡る。
同じ映像を、彼も見ている。・・・・
 
それよりも、何よりも、絵を見ればわかる。
絵とはそういうものだ。
写真とはだいぶちがう。
写真をとってアーティスト気取りは鼻持ちならないと、何度も書いてきたが、そのとおりだ。
写真を撮っていて、職人のような人は信用できるが・・・
写真家で、自分は”アーティスト”だと、ことさら、英語で自ら名乗っている人は眉唾もので、
周りを、眉唾者の取り巻きに囲まれて”裸の王様”ならぬ”フォトアーチスト”になっている。
そうでない、アーティストもいる。
もちろん、アーティストなんていう呼称自体が、可笑しいほど、淡々としている人もいる。
本来、絵を描くことは、シンプルで、プリミティブで、正直な行為だ。
それが、ことさら”アート”になると、とたんに眉唾モノになる。
気をつけようと自ら思う。
そして、病気のせいかもしれないが、吐き気のする腐れ縁は(あの自称アーティストの一知人として・・のような)
知人は、意味が全然ないから、どんどん切り離して、
新しい出会い、本物の出会いを大切にしたい・・・
今日この頃であった。