死のニュアンス

 
 
今日は風邪をひいたので、仕事を休んで寝ていた。
 
なんだか冬に逆戻りしたみたいに寒かった。
風もビュービュー吹いていて、窓から外を見ると、木の葉が風に揺れていた。
 
熱があるせいか、気持ちがいい。
 
医者に行くとウイルス性の風邪らしい。
どうりで、抗生物質を飲んでも良くならないわけだ。
 
ウイルスが体内に侵入し、たぶんDNAの配列を少しばかり変化させて、
抗体反応で熱がでている状態。
 
そんな状態が僕は好きなのだ。
 
なんだか世界が違って見える。
死をより身近に感じる。
忘れていた微かな記憶を思い出す。
死の匂いが仄かに香ってくる。
 
風邪をひかずにこうした状態が保たれればいいのだが、
風邪が良くなると、自分の五感も元に戻ってしまう。
 
風邪をひきながら絵を描くと、いい絵が描ける。
でも、時間がないから今回はやらない、できない。
 
明日も、もう一日休んで、
変性意識状態のままで、アート活動にいそしみたいものだが、
そうもいかないだろう。
 
熱がでてくると、妄想がだんだん夢に変化していく。
”死”っていう最も身近なテーマについて寝ながら瞑想していたんだけれど、
ハイデッガーが言ったことを思い出した。)
だんだんと、死についての瞑想・・・
それは、死を感じること・・・
なんだか、死の匂いがして・・・
死がとても気持ちよく感じられるから・・・
ぼくはなんだか幸せな気持ちになって・・・
死のニュアンスを感じていたのだが・・・
そのうちに、突拍子もない妄想に変化していって・・・
なんだか、女の人がでてきて、その人が別の人と会話しているのを僕は聴いている
その会話がなんだか支離滅裂で、
たぶん、死について語っているのだけれど
2つのフェーズがあって
一つのフェーズには気づくが、
もう一つのフェーズは隠れいていて気づかない、気づけない
それについてなんだかひそひそ語っているのだが、
だんだん、その会話もおかしくなってきて、
聴いていても、つまんないほど世俗的になってきて
そのうちに、意識を失ってしまう。
 
つまり、現実と妄想を五感と思考が行ったり来たりしながら、
うとうとしていると、
急に意識が戻り、五感が娑婆にチューニングされると、
咽喉が腫れあがり、目玉の裏の神経が傷んでいる痛みに気づく。
メガネをかけて、外界を見ることができない
目が痛くて、外の世界が見られない
だから、メガネを外したまま、
日が暮れてすっかり暗くなった空に白い雲が浮かんでいるのを眺めていた。
 
真夜中、そうやって、一日中、
死を感じながら、起きていた。