一年の計

  
 
もう3日だが、この日記は例によって日付が変わらない欠陥ブログだから2日になっている。
 
もう、休みのほとんどを消化して、ただダラダラしてるだけで過ぎてしまった。
 
私の場合、喰う物さえあれば、ダラダラ何もしない習性なのだということが判明した。
 
つまり、家で飼っているレオパードゲッコー(豹紋とかげモドキ)とたいして変わらないメンタリティー
 
行動パターン。脳内プログラム。本能。それを凌駕する人間的意志がゼロ。
 
だいたいトカゲモドキの彼は、餌を与えられるとき以外は気持ちよさそうに赤外線ランプに照射されて寝ている。
 
それ以外にも、家で飼っている動物は不必要な動きはしない。
 
つまり、喰うという行動以外は何もしない。
 
私も、もう、だいたいそれに近くなっている。
 
たいそれた野心もなくなり、ハングリー精神もなくなってしまったようだ。
 
不必要な動きをしないで、喰う、寝るだけだ。
 
文化を創造しようなんていう”人間的”な欲望(野心)は持たない。
 
ただ、何もしなくていいのだから、といって
 
ダラダラしながら、身体のダメージを回復させている。
 
そう、身体を休めていると、あちこちと悪いのが意識されてくる。
 
例えば、脳。
 
左脳に梗塞があるのを感じるし、脳全体が少し腫れている。
 
脳内でたぶんいくらか出血しているのだと思う。
 
心臓もかなりいかれてきている。
 
車のエンジンを取り換えたが、それと同じように、
 
心臓のポンプだけじゃなく、心臓のセンサーがいかれてきて
 
ちょっとしたアドレナリンの分泌に反応して動悸がしてくる。
 
鼓動が一定の速さより下に静まっていかない。
 
もっとゆっくり鼓動してもらいたいのに・・・。
 
アイドリング時の回転数が不必要に高い車のエンジンのように
 
無駄に早く鼓動している。
 
あとは、右足の踵。
 
たぶん、骨がいかれているのだと思う。
 
体重が重すぎて支えられないのかもしれない。
 
歩いているうちに、骨でも折れたか砕けたように痛くなってくる。
 
目玉はもう、かなりいかれてきて、本を読むのが大変になってきている。
 
遠近両用メガネをかけて読むには、本を遠くにして、下に置いて、小さい文字を読まなければならないし、
 
メガネを外して読むには、本を1cmくらいに近づけなければならなくなる。
 
だから、あまり文化的なことは望まなくなる。
 
本を読んで、なんらかの知識を蓄えようとか、知的な満足を得ようとも思わなくなる。
 
でも、まあ、一年の始まりだから、そんなネガティブなことばかり言っているのはやめよう。
 
年の初めに、一年の計を書いておくことも必要かもしれない。
 
さっき風呂に入りながら思ったことは、
 
何が一番大切かを常にさがし求めながら行動すること。
 
たぶんそういうことだ。
 
毎年、いろいろと一年の計を書いてきたが、
 
ここ数年、それらをやった試しがない。
 
それほど大変なことを考えたわけではないのに・・・
 
できないことだけを考えていたのだろう。
 
だから、あれをやるとかあれをやらないとかはもう考えない。
 
行動することを計画してもなぜか出来ない。
 
できない環境にあるからだろう。
 
だから、もう、なにやろうとは思わない。
  
作りかけの立体も、描きかけの絵も、完成しないだろう。
  
日々、仕事と、家事と、雑用に追われて、時間が過ぎていくだろう。
 
運動もできないだろう。
 
瞑想もできないだろう。
 
友人ともあまり付き合うこともできないだろう。
 
新しい友もできないだろう。
 
楽しいことはほとんどないだろう。
 
思ったことの1%も実現できないだろう。
 
疲れ果てて、肉体と精神の限界を感じるだろう。
 
そのような一年に、たぶん、なるだろう。