片想い

夜学で、「異性文学論」という授業をとっている。
その授業では、古今東西の文学作品を材料に
“片想い”について考察する。
 
周りは20代の学生。
たぶん、僕が20代だったら、こんな授業は決してとらなかっただろう。
それどころか、学校にすら行かなかったのだから・・・。
 
学生たちを見ていて思うのだが、
若いと、やたらに自我を意識するものだ。
そして、自分はすでに大人だと思っている。
でも、今の年になってみればわかるのだが、
どんなに大人ぶっても、かえってそれが初々しく見えるほど
彼ら彼女らは本当に若い。
  
若さの特権というか、
恋というものは、
若いときにしかできないもの。
 
特に、片想いなどという
純粋な想いは
若さゆえの
なにものにも代えがたい
貴重な
非肉感的官能
前感覚的快楽
とでもいうべき
精神の煌めきに相違ない。
 
しかし、夜学に集う若い男女を見ると、
彼ら彼女らは
お互いに知らんふりをして
異性に興味のないそぶりをしている。
 
なぜ、「ねえ、節句巣しようよ」
と同じ年の異性に、言わないのだろうか。
それが過激なら、
もっと彼ら彼女らのコミュニケーション言語を使ったって
もちろん構わない。
 
しかし、授業が終わると、
彼女ら彼らは、
一言もお互いに言葉を交わすこともなく
散り散りに
教室から出て行くのだ。
 
そんな若者たちを見て、ぼくは歯がゆく思うのだが
同時にまた、わが青春をも回想する。
 
氷のように孤独で、
地獄のように熱かった青春・・