復活したイエスのその後
前の投稿で、「イエスは、マグダラのマリアと結婚していて、子供までいた」という説を書いたので、そのついでと言っては何だが、十字架に架けられたイエスのその後についての、見聞きした話を書こうと思う。
「キリストは日本で死んでいる」という本を以前に読んだことがあるが、それには、十字架に架けられたのはイエスの弟で、イエス本人は生きながらえて世界を旅し、最終的に日本にまで来ていた、ということが書かれていた。
その真偽は定かではないが、(と言うより、イエスの身代わりに弟が十字架に架けられたというのは疑わしいが)青森に戸来村という村があり、キリストの墓があるというのは事実のようだ。戸来村(へらいむら)の“へらい”とは、“ヘブライ”の訛りであり、太古、ユダヤ民族がそこに来ていたらしい。失われた十部族が日本に来ていたというのは、事実かもしれない。
また、プレアデス星人とのコンタクトで知られるエドアルド・ビリー・マイヤーのコンタクト記録にも、イエスのことが書かれている。
それによると、イエスの本名は、イマニュエルであるという。
事実、イエス、ジーザス、イエズス、いづれにしても、キリスト教会の呼び名であり、イマニュエル、インマヌエル、確かに、聖書にも、そうイエスの名前が書かれている。
そして、イマニュエルは、十字架に架けられて復活した後(イエスが馬小屋で生まれたときに、黄金、乳香、もつ薬を捧げて礼拝した東方の三博士が、十字架にかけられたイマニュエルを墓の中で治療し、“復活”すなわち、3日間で“治療”したのだという。)、世界各国を遍歴して歩き、インドに定住した。そこで妻帯し、子供をもうけ、90何歳まで天寿を全うしたのだという。
だとするなら、マグダラのマリアの他に、イエスには、妻がいたことになる。
そして、当然その子孫もおり、その子孫はインド系かもしれないし、ユダヤ系なのかもしれない。
何れにせよ、イエスは、十字架上で昇天したわけではなく、その後も生き永らえた。
僕は多分、それのほうが(十字架に架けられて本当に死んだイエスが、奇跡によって本当に復活したというよりも、半死の状態で十字架から降ろされたイエスが、墓の中で治療を受け、甦ったというほうが)、事実なのではないかと思っている。
つまり、ペテロやパウロによってその後布教されたキリスト教の教義は、もしかしたらイエス本人の思想とはかけ離れたものだったのかもしれない。
キリスト教の根本教義である“三位一体”説。そして、イエス本人を神だとする“身代わりの子羊”説。
それらは、イエス本人が語ったものではなく、その後のキリスト教会によって作り上げられた“教義”なのかもしれない。
何よりも、「人間の罪を背負って、無実の神の一人子であるイエスが十字架に架けられた。それを“信じる”者が、キリストの贖いによって、罪を許された永遠の生命を持つ者となるためである。」という教義ほど、いかがわしい無責任な“神秘主義”はないのではないか。
勿論、そんなことを中世に言ったら、たちまち、異端審問で火あぶりにされていただろう。しかし、現代はそんな不合理は既に存在しない。
キリスト教のイエスの身代わり説によって、信者は“思考停止”状態にさせられ、教会の権威は、それに付け込んで信者をうまく利用し続けてきたのかもしれない。思考停止状態の信者は教会の権威に搾取される子羊であると同時に、自分の行為に責任を持たない、イエスを身代わりにして罪を逃れる偽善者でもある。
ひょっとして、イエスの弟がイエスの身代わりに十字架に架かったという説は、現在のキリスト教の教義の辛らつなるアンチテーゼとして代々語り継がれてきた“方便”なのかもしれない。
ヨハネについても様々な“話し”がある。
バプテスマのヨハネ。黙示録のヨハネ。十字架の聖ヨハネ。
でも、長くなるので、やめにしておこう。