生と死が混在している

 
 
最近忙しくて、日記を書く暇もない。
 
それに、最近、デジャヴュをたびたび体験する。
 
覚えている主なものを書いておく。
(既に忘れてしまったものもある。)
(最近、思考力とか言語能力とか記憶力が自分の思うようにならなくなってきているように感じてもどかしい・・)
 
ちょっと怖ろしい場面が多い。
 
1.まるで精神病院の隔離病棟か刑務所の独房ような老人ホームの個室。
窓から見える景色は、隣接のぼろぼろの安アパートのペンキが剥げかかったドア、今にも崩れそうなコンクリートの通路。
 
2.末期癌で動けなくなった骨と皮の男が寝ている汚れきった狭い部屋に置かれた大きな仏壇の中の両親の写真。
(確かにぼくはその両親の顔を、どこかで見たことがある、ような気がした。)
 
3.プロテスタント教会の正面の壁、すなわち、牧師が説教している背景の、十字架の掛かった壁の木目模様。
レントゲン写真のような骸骨の全身立像が、6人並んでいるように見える。
(前に一度、これと同じものを確かに見たことがある。なんで教会の正面にこんなシャレコウベのような模様があるのかと不思議に思ったことが確かにある。でも、この教会に来たのは初めてだ。)
 
 
ところで、最近、生と死が、あらゆる所に混在して存在しているように感じる。
死が身近にあるとき、生と性もまたさらに、以前にも増して強く意識させられる。
例えば若い男女が電車の中でいちゃついてるのを見たりすると、性を意識している彼らが新たな生を産み出そうとしているエネルギーが感じられる。
生命が誕生するのは悦びであり、祝福であり、エロティックであり、エネルギーの発散だ。
一方で、絶望、死、老い、醜悪、暗黒への収縮がある。
それらは、ありふれた日常生活の中、街の雑踏の中に混在して、隣り合わせに存在している。