先週のこと、ダイアローグインザダーク

 
こんばんわ。
 
先週は、キラー通りでドローイングして、そばを喰うはずだったが、
そのようにはならなかった。
 
まず、そばは、地下鉄の乗り換えの通路で売っていた神戸屋のパンを
思わず買ってしまって
それを外苑前の交差点で立ち食いしたので、
そうしたら腹がいっぱいになったので、
そばを喰う気がしなくなった。
 
それから、ドローイングしようと思ってスケッチブックと鉛筆を持参したが
キラー通りを歩いていたら、
ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」のロゴを見つけて
思わず中に入ってしまった。
そうしたら、ちょうど今、出発したばかりだからと言われて、
急きょ、中に入れてもらって、
他の人たち(2カップルと目の不自由な女性1名)と合流した。
 
それから、真っ暗闇の中をガイドさんの導きで進んで行った。
 
とっても楽しかったし、
なにも見えないというのもいいものだと思った。
いや、むしろ、見えるよりいいかもしれないと思った。
ぼくは直感的人間だから、目が見えなくても、だいたいのことはできると思った。
それに、醜いものが見えない(見なくてすむ)のが、なによりいい。
想像でどうにでもイマジネーションできる。
そして、空想の風景は無限に拡がる。
途中のカフェでワインを飲んだが、
今まで入ったカフェで一番いいカフェだったと自信を持って言える。
 
赤がくるか白がくるかわかりませんよ、と言われていたが、
赤ワインが来るだろうと思った。
そして味わってみて、やっぱりそうだった。
やっぱり赤ワインが来ましたと言うと、
「どうして分かったのですか?」と訊かれた。
「なんとなくそう思ったのです」と、そのときは答えたが、
本当はそのように”見えた”のだ。
”見えた”というより”イメージした”と言う方が正しいのだろうか?
 
目が見えなくても、いろいろな物が見える。
見えるというより、イメージが湧いてくる。
 
とっても楽しい経験だった。
 
そして、その日は帰ってきて、真っ暗にして風呂に入った。
暗闇で髭をそり、身体を洗うと、なんだか、余計にさっぱりした。
 
 
追伸。
 
キラー通りで、ドローイングしている女の子が二人もいた。
僕は小さなスケッチブックを持って行ったが、ドローイングはできなかった。
が、なぜか、同じことを考えていた人が他に二人もいたことに驚いた。
 
イデアは、時空を超えて、共有できる、
というか、同じアイデアを別々の人が同時に受信して
同じ行動を起こすことがあり得るのかもしれない、と思った。