ドクター・ロバート

 
 ビートルズリボルバーに「ドクター・ロバート」という曲がある。

 以下はWikipediaからの引用。
 
 ドクター・ロバート (Doctor Robert) は、1966年に発表されたビートルズのアルバム『リボルバー』に収録された曲。ジョンとポールの共作である。ロバート・フライマン(ロバーツ〜〜 との説も)(Robert Freymann)というニューヨークに実在した"スピード・ドクター"(アンフェタミンLSDなどを大量に処方してくれる医師のこと)と呼ばれる医師で、アンディー・ウォーホルなどニューヨークのアーティストの間では評判だった人物である。(ロバーツとうい人物がモデルになったとういう説もあるがフライマンの説の方が有力)ビートルズのメンバーとは直接の面識や関わりはなかったが、ポール・マッカートニー曰く『ニューヨークをハイにし続けた男』をモチーフにしたドラッグ・ソングである。
ちなみにこの曲はアメリカではキャピトル・レコード編集版アルバム『イエスタディ・アンド・トゥディ』に収録されている。
この曲の最後はフェイド・アウトしているが、実際には最後まで演奏している。
この曲のモデルとなったロバート・フライマンはドイツ出身。麻薬の使用が問題となったため、1967年に医師免許を剥奪され、1975年にニューヨーク医師会を追放されて1987年に死去している。
 
 僕がカリフォルニアのメンドシーノ・ナショナルフォーレストのコミューンで出会ったドクター・バーブ(Dr.Bob)の本名はロバート。まさにドクター・ロバートなのでした。
 フライマンが東のドクター・ロバートなら、Dr.Bobは西のドクター・ロバートということでしょうか。しかも、フライマンがドイツ人なら、カリフォルニアのBobはユダヤ人です。
 
 ドクター・バーブの経歴:

 前生でバグワン・シュリ・ラジネーシの兄。
(ちなみに、その生でのラジネーシはドクター・バーブの妹だったそうな。)
(さらに、遡ること、ん世紀。僕は、今のユーゴスラビアあたりでレイン・メーカーをしていて、そのときの僕の弟子(師ではなくて、あくまでも弟子)がラジネーシだったそうな。)
(さらに、ドクター・バーブの当時7歳の金髪の息子は、いつぞやの前世で、僕のお父さんだったそうな。そう言えば、他人には思えなかった・・・)
(いろいろな前世が絡み合っているもんですね。)
 
 ところで、Dr.Bobのことだけど、彼は
 今生ではマイアミで開業していた精神科医

 その頃はクルーザー、

  自家用飛行機、

   ファンシーなキャデラック

    を乗り回していたとか・・・

 ドロップ・アウトして、無一文で世界を5周するほど放浪。

 アシッド・ドクター、ガンジャ・ババの異名を持つ。
 
 もちろん、マイアミの彼の病院ではアシッドを処方していたそうです。

 世界中に子供がいるとかいないとか・・
 
 
 よーく見ていてくださいな。
 
 下のYouTubeDr.Bobが映っています。
 
 その前に4人の人物のインタビューがあります。
 
 1.Plunker
  なにか語っていますが、きっとハイになっているのでしょう。僕は彼のことは知りません。

 2.Rochelle
  女性ですね。やさしい声ですね。山の中でnatural highになると、人間はだいたい優しくなるのです。

 3.Serious
  真面目そうな、インテリっぽい男性ですが、僕は彼のことは知りません。

 4.Baba Ram Dass
  ご存知、ババ・ラム・ダスですが、日本のウィキには彼のことが乗っていなかったので、英語のWikipediaから引用させていたさきます。
 
Richard Alpert (born April 6, 1931), also known as Baba Ram Dass, is a contemporary spiritual teacher who wrote the 1971 bestseller Be Here Now. He is well known for his personal and professional association with Timothy Leary at Harvard University in the early 1960s. He is also known for his travels to India and his relationship with the Hindu guru Neem Karoli Baba.
  つまり、『ビー・ヒア・ナウ』の著者です。
 
 5.Garrick
  そして、5人目のガリック?
  僕は彼のことは知りませんが、何か難しそうなことを語っていますね。
  それもそのはず、その左隣に映っているのが、Dr.BOBです。
  バーブが横からマインド・コントロールしているんでしょう。
  苦笑いを浮かべているようですが、髭で見えません。
 

 
 
 ずいぶん若く映っています。
 座っているから分かりませんが、立つと190cmくらいある大男です。
 1978年と言えば、僕がラジネーシの所へ行った1年前、Dr.Bobと出会った2年前です。
 その後、カリフォルニアの山の中から東京までバーブを連れて来たのは、この私です。
 そして、白金(当時はシロガネーゼなんて言葉はなかったけど)の独身女性の家に居候していて、突然、バーブを追い出してしまったのです。無一文で・・・。
 そのときのショックで、彼の髪は真っ白になり、歯が抜けてしまったそうです。
 もちろん、それから再会して、ノープロブレムって言ってもらえましたが・・・。
 
 そのあと、全裸でティピを建てている映像がでてきますが、メンドシーノの山にもこうしたインディアンのティピやモンゴル式のヤートが点在していました。
 もちろん、フェスティバルじゃないので、十数人しか山の中にいませんでした。
 
 なんだかまずそうな食べ物を配っていますが、オートミール、バナナ、蜂蜜、リンゴを煮込んだとか言ってますが、これが食べるときっと美味いのだと思いますよ。ジャンク・フードみたいなもんで、ハイになってると味覚も敏感になって、こういうものが美味く感じるのです。
 
 まあ、ヒッピーのナチュラルなフェスティバルっていうのがこういうものなのでしょう。
 なんだか、裸で、原始的で、不潔で、貧しく、つまらなそうですが、
 はたから見るよりも精神は貧しくなかったのだと思います。
 
 その後のエコロジー運動とか、コンピュータネットワークとか、オルターナティブ・テクノロジーとか、自然農法とか、いろいろなことを”頭で考えて”いたのです。
 ただ、”ラリッて”ばかりいたわけではないのです。けっこう頭の回転が速い連中が、こんなふうに”ドロップ・アウト”していたのだと思いますよ。
 
 今は昔のお話しですが・・・。