よくなった車と呆けの母

 
 車の点火プラグ4本を交換し、ガソリンに浄化剤を2本入れ、エンジン、ミッション、パワステなど総てのオイルを交換し、バッテリーを交換し、ラジエターの液を交換し、車の下周りとマフラーのさび落としとコーティングをしてもらい、もうこれ以上なにもできないというところまでメンテナンスしてもらったら、車の走りが断然よくなった。もちろんエンストもしなくなり、エンジン音がとても静かになって逆に心配になるくらいだ。アイドリング時の回転数が減って、エンストするのではないかと心配になってしまうのだが、今日走ってみてエンストもせずに、調子もよかった。エアコンを入れても、エアコンのモーターの音はうるさいが、それでエンストすることもなくなった。やっと少し安心して車に乗れる。”少し”と書いたのは、エンジンがいかれてから、車に乗ること自体が一つの”賭け”になっていたから、今でもその警戒心が抜けない。それはフィアット・パンダに乗っているときからのことだが、いつ車がいかれるか常に警戒しながら運転してきた。車の運転に気を使うのはもちろんだが、それだけではなくて、車そのもののコンディションに常に気を付けていた。まあ、そのおかげで(?)エンジンが急にガタガタいって、すごい有毒の排気ガスが出て、エンジンがぶっ壊れた時でも、それなりになんとか運転して家の車庫までもって来れた。それは、ボロ車の運転の仕方を心得ているからだろう。オイルがダダ漏れになって、エンジンのカムが折れて(そんなことは滅多にないと車屋に言われた)ぶっ壊れてしまったのだが、そこで廃車にせずにエンジンを取り替えた時からずっと、なんだかんだと細かい修理を繰り返してきた。今回でやっとなんとか、正常になったような気がするが、まだ油断はできない。
 
 今日は母に昼飯を食わせる日だったが、家に行く前に変な夢を見た。母が小さな3才くらいの子供になって家の物を手当たり次第にぶっ壊している。それも尋常じゃないやり方で。電動ドリルで穴を開けて徹底的にぶっ壊すのだ。でも、相手は頭のいかれた子供だから、叱れない。いい子いい子と言ってなだめて炬燵に入れている。変な夢だった。朝、何度も母のところに電話を入れたのだが出ない。固定電話以外に見守り携帯を二つ家の中の別々の部屋の柱に打ち付けてあるのだが(ただ紐で柱にぶら下げているだけど、母がそれを外してどこかにしまい込んでしまうので、紐を柱にとれないように何か所も釘で打ち付けてあるのだ。)その見守り携帯に電話しても何にも言わない。車で母の家に行くと、柱に打ち付けておいた見守り携帯の紐が引きちぎられて無くなっていた。「電話がおかしい」としきりに電話をいじっていた。なんかいろいろとわけの分からないことをしている母を放っておいて、なくなった見守り携帯を必死になって捜した。その番号に電話をかけて「アーアー」としゃべりながら、どこかからその音が聞こえて来ないか家の部屋という部屋を回った。実家は古い平屋で部屋がいくつもある。やっと音が聞こえてきた。母の三面鏡の前に置かれた四角い化粧するときに座る椅子の中からだった。座るところを開けると中にいろいろ入れることができる椅子だ。その中に紐が引きちぎられた見守り携帯が入っていた。「どうしてこんな所に入れたの」というと「ねー。だれがやったんだろうね。まったくひどいことする人がいて困ったもんだ」と言う。そんな人は当然どこにもいないのだが、そういうことをやる人がこの家には、さも沢山いるように話す。とりあえずその紐をまたつけ直して、柱に掛けた。釘で取れないように打ち付けても引きちぎってしまうのだから、ただ柱に打った釘に縛り付けるだけにした。それから、見守り携帯の充電のコードを隠している場所から出してきて電源と接続して充電を始め、母を着替えさせ、薬を隠してある場所から今日飲ます分を出してポケットに入れ、車で出かけた。あらゆる大切な物を隠さなければならないのは、それを(大切な物ほど)捨てたり、何重にも包んで、だれにも分からないような所にしまい込んでしまったりするからだ。だから、大事な薬とか、携帯の充電用のコードとか、ヘルパーさんとの連絡ノートとかは、母の手の届かない高い棚の中にしまい込んであるのだが、まあ、頭がおかしいからしかたがない。
 
 車に乗っていると小雨が降って来た。今日はファミレスじゃなくて、蕎麦屋に行くことした。いつ行っても客が誰もいない蕎麦屋だ。ところが今日は客が沢山入っていて、注文してもなかなか出来て来なかった。母は小親子丼にもりそばのセット、僕は小かつ丼にもりそばのセットをたのんだ。「あんたが来てくれて電話が直ってよかった」と少しはまともなことを言ったが、あとはなにがなんだかわからない支離滅裂な話しばかりだ。僕はつくづく、こういう親の子だから自分もおかしいのだなと思った。頭のおかしい母の話す支離滅裂な話しを、怒ることも反論することもせずにただただ同意して聞いてやっていると、蕎麦屋の小さな窓から外にいるスズメが見えた。小さなスズメは本当に偉いなとつくづく思った。野生のスズメはたかだか2、3年の寿命しかないみただが、全力で生きている。母の支離滅裂な話しを聞き流しながら、スズメのように生きている小さな生き物たちは、本当に健康で、自立して全力で生きている。生命というものは本当にすばらしいし、あんな小さな生き物が何に頼ることもなく全力で自力で生きていることは、ほんとうに偉い、尊いことだとつくずく感じながら、昼飯を食った。
 
 車がエンストしない状況になったので、ありがたかった。昼飯を食べて、夕飯に食うものをコンビニで買って帰った。