フラっとした

眠剤を飲んで2時間以上経ったのに眠くない。ということはちょっとヤバイよね。新聞屋のバイクの音は聞きたくないしね。
今日、仕事返りの道を歩いていたら、急に左の頭ががくってきて、意識失ったみたいになって、左によろけたんだ。歩道の左に竹の生垣があって、そこに突っ込んで竹を握って、なんとか転ばずに済んだけど。後ろから2人、通行人が、怪訝な顔をして、相次いで通り過ぎていった。倒れたら声を掛けてくれただろうか、と後から思ったよ。きっと倒れた僕をよけて通り過ぎたと思うよ。でも幸いなことに、一瞬で意識を取り戻し、僕はまた歩き始めた。
でもなんか、左脳が詰まったような感覚があった。
家に帰ると、無性に眠くなり、意識を失ったみたいに眠りに落ちてしまった。夢は覚えていない。ただ、帰り道にある漢方屋で、海馬を買ったのを思い出した。乾燥したタツノオトシゴ。かわいいから、思わず衝動買いしてしまったんだ。それを買って、耳にイヤホンを付けて音楽を聞きながら、焼き屋の前を通ったとき、さっき買った海馬のことを考えていた。脳の中にも海馬といわれる所があるよなって。その海馬とタツノオトシゴの形が似ているから、そう呼ばれるようになったのかなぁ?なんて思ったときだった。急にグラっと意識を失ったのは。多分、海馬が機能を止めた。それも左半分だけ。だから、左によろけて倒れそうになった。耳には、セリーヌディオンのジュテームアンコールがかかっていた。それから、愛することさえできたならっていうとても美しい曲。普通は脳には関門があって、人工ホルモンは通れないことになっている。それなのに、現代の医薬品業界は、脳関門をスルーするペプチドを売り出して、それを医者が大量に処方している。僕の脳にもたくさん入っているから、そのせいかもしれない。それらを自分の脳に入れているのは、僕の意思だが、僕は少し鈍感になるためにそうしているんだと思っている。敏感になると、余計なものまで感じてしまうから。鈍重な方が歯車的社会生活にとっては楽な生きやすいからだ。そういう訳で、意識を失っても、失わなくても、たいした違いは、僕にとっては、ない。目を瞑っていれば生きることは簡単だって歌もあるでしょ。まして、脳が壊れようと、たいしたことじゃない。僕の脳が自分のものだからって、全部自分の思うように使える訳じゃない。だから、眠っている方が楽なことだってあるのに、眠れないのは困ったことだと思います。
自分の脳を上手く使っていない。逆に、自分の脳を虐待している。そんな感じがするのです。薬を呑むということは。でも本当はどうなのだろう。自分が自分をコントロールできないだけかもしれない。自分の意識さえ、自分の言うことを聞かない天邪鬼なのです。
私は。