「オレ教」とかダ・ヴィンチとか


先日「オレ教」のことをこのブログで書いたが、今日、本屋に立ち寄ったら、「オレ教」という本がでていた。
考えることは皆同じなのだなと思った。
本が出版されたからといって、まさか「オレ教」という宗教法人が登録されたとか、「オレ教」が登録商標化されたわけではないだろうから、各自がめいめい自分だけの「オレ教」を作ったとしても、なんら問題はないだろう。
そういった意味では、「オレ教」という名前は同じでも、中身は千差万別。一つとして同じ「オレ教」はないということだ。
最近、いろいろとあって、嫌になることも多いが(まったくひとを信頼せず、バカにして、無価値なものときつい言葉で罵られると、以前はそんなことも跳ね除けたり、傷ついても回復することが容易にできたが、最近は、自分を守る鎧がぜんぜん失くなってしまったみたいに無防備でやられっぱなしのまま、とことん落ち込んでしまう。まあ、相手にしてみれば、それが目的だから、つまり僕をとことん落ち込ませて自殺でもすれば嬉しくて勝利の祝杯でもあげんばかりに罵倒する訳だから、憎しみのままに怒鳴るのだろうが、僕はもうそういう言葉を浴びせられると、以前のようには反論もできないし、防御もできなくなってしまった。ただただひたすら落ち込んで自分がロクでもないひたすら無意味な存在に思えてきて、地獄の底に落ち込んだような気分になるんだ。病気のせいもあるのかもしれない、それに薬のせいも、、)、今日は携帯から入力しているので、これくらいでお終い。
PS
金曜日が楽しみ。神は落ち込んで地獄の底にいるときに、必ず助けてくれる。必ず天使を派遣してくれる。
絵のファイル。
ダ・ヴィンチは、いつも先駆的試みをして、何枚もの大傑作を台無しにしてしまった。だから、さぞかし無念だと思うが、僕もその気持ちがわからないわけでもない。若いときに描いた油絵は全部粗大ごみに出してしまったし、もう二度と描けない自家像の傑作(自画自賛)も失くなってしまった。
そんなトラウマがあるから逆に、普通には描けなくなるのだ。