色鉛筆を削った

  
何日か前に、色鉛筆が欲しいと書いたが、
探してみると、たくさん色鉛筆があった。
水に溶けて、濃く描ける色鉛筆ではないが、
とりあえずそれらを使うことにして、
バラバラだった色鉛筆(汚れていたり、短くなっていたり、芯が折れていたりするが)
それらを色別に分類して、クリアケースにしまっておいた。
土曜日に、それら色鉛筆を削った。
それから、色鉛筆だけでなく、ドローイング用の4Bとか5Bとか6Bとかの鉛筆も削った。
 
ひたすら鉛筆を丁寧に削った。
たくさんあるからだんだん飽きてくる。
CDをかけながら、全部削った。
 
昼頃から始めて、終わったのが夕方だった。
 
色鉛筆でドローイングの色を塗ろうと思っていたのに、
結局は、その芯を削り、汚れを綺麗にすることから始めなければならなかった。
 
そんな訳で、まだドローイングに色を塗っていない。
 
こんなペースなのだ。
 
でも、先のとがった、芯がいい具合に長く出た色鉛筆を
クリアなアクリルのケースに、綺麗に、虹の配列のように並べることができた。
 
それらで、どのような絵を描くのかは、また別の問題だ。
 
実際・・・こんなことを書くと、無気力な人間だと誤解されるだろうが・・
どんな絵を描くかよりも、色鉛筆をどのくらいきれいに削れるかの方が、
重大な問題だったりする。
否、どっちがより重要か、序列はつかない。
綺麗な絵を描くために色鉛筆を削るのか、
色鉛筆を削るから、綺麗な絵を描くのか、
できた絵が重要なのか、
それとも、先が丸まる前の、未使用の先のとがった色鉛筆が重要なのか。
どちらでもいいような気がするのだ。
 
そう、
これを読んでくれているものすごく限られた少数の人にとって、
私は、期待はずれの存在だろう。
もっと、前向きなことを書いて、人を啓蒙するような文章が書けないものかと思うだろう。
 
でも、そんなこと、どうでもいい。
そこらに転がってるブログを見れば、
そのほとんどが、ポジティブで、啓蒙的で、前向きな言葉で溢れ返っている。
 
僕は、そういう言葉、報道、風潮に辟易している。
 
1%の持てる者と99%のその他大勢という比率が、本当にそうなのか、
誰も数えた人はいないと思うが、
報道される一部の芸能人、スポーツ選手、有名人は皆、ポジティブな言葉を語り、
大衆を啓蒙しようとしている。
 
啓蒙する側が1%なら、啓蒙される我々99%は、そんなに何もできない無能者なのか?
そんなことはない。
逆に、啓蒙される99%がいなければ、啓蒙する1%は存在できない。
ストレートに言えば、
我々がいなければ、偉そうな能書を並べることもできない存在であることは、
富の偏在の構図と同じなのだ。
 
つまり、私は、詩人だからと言って、”あいだみつお”でもないし、
不幸な人を励まそうとも思わない。
 
自己分析して気付いたことは、
私は、個人主義であり、
誰も啓蒙する気もないし、救う気もないということだ。
 
人を救おうとしている宗教のほとんどが偽善だ。
 
それは、なにも、来世での天国の話ではなく、
もっと身近に、現世での悩みの解決にいろいろとアドバイスする宗教、スピリチュアル、瞑想指導家、グル、占い師、それらに共通して言えることだ。
 
偉そうにアドバイスすることによって成り立っているそれらの職業、地位、名誉は、
実際は、99%の悩める凡人がいて初めて成り立つ偽善だ。
 
そして、99%の悩み苦しみは、1%の指導者によっては、絶対解決されないものなのだ。
それなのに、どこかに”智慧”とか、”特効薬”があると期待する。
一番の特効薬は、悩む脳味噌そのものを働かせなくさせることだ。
そのための神経伝達物質の分子言語を調整する薬が、製薬会社によって臨床実験され、
承認され、
販売される。
 
臨床心理士精神科医は、実際は、それらの薬を処方するだけの存在であり、
主役は、製薬会社であり、
医者はただの、薬の売人なのだ。
処方を書くだけ。
治療なんて、できっこない。
だから、根本的に、脳内麻薬物質、つまり、脳内分子言語、つまり、脳内神経伝達物質、つまり、ホルモンをコントロールできる分子構造を投与して、
何も考えなくさせること、眠らせること、
そして、化学的に楽しい気分にさせること、
つまり、精神は脳によって成り立っているとする脳還元論、唯脳主義によって即物的に対処するしか方法がないのだ。
今の所、それしかできない。
というか、今現在、それが”科学的”と言われる治療の主流に躍り出たということだ。
 
だから、自殺者は一向に減る気配を見せず、逆に増える一方なのだ。
薬でウツが治ると言われながら、
逆に、薬が許認可されて市場に出回ると、
それに比例して、鬱が減るどころか逆に増えてきて、
治癒するどころか、自殺者が増えていくのだ。
 
医者は、製薬会社の出先機関であって、
薬がより多く売れるように、患者を薬漬けにする最前線にいる。
処方箋を書き、薬局に行けば、そこでまた、製薬会社の下働きが大勢待ち構えていて、
薬の飲み方を説明する。
 
脳内神経伝達物質をピンポイントにコントロールする薬は、第製薬会社で臨床実験されて
分子化学的に生産され、承認され、流通し、処方され、消費されるが、
脳内神経伝達物質であるナチュラルな麻薬は、決して承認されない。
ナチュラルな麻薬は、解禁されたら、金にならない。
禁止しているから闇ルートができて、膨大な金額で取引される。
それが、この社会の仕組みなのだ。
 
構造はとてもシンプルだ。
1%の富める者のために、99%が奴隷のごとくに労働し、
精神的肉体的にに病めば、
製薬会社の合成したピンポイントの麻薬もどきを処方される。
もし、ナチュラルな、古代からある神経伝達物質に手を出せば投獄され、
逆に、それらを膨大な高値で売りさばくシンジケートが出来上がり、
裏で、世界でもっとも強力な権力と結びついている。
 
つまりは、権力は奴隷搾取の装置であり、
政治は、そのための統治の仕組みであり、
法律は、その体制を維持させる脅しであり、
逆らう者は投獄され、洗脳され、腑抜けになって
従順になって仕組みに組み込まれるまで条件反射の訓練をさせられる。
 
だんだん、なにを言っているのかわからなくなってきたが、
要は、この社会は、すでにこれほど腐っていて、
本来、それが崩壊するは喜ばしいことなのだが、
生きる仕組みが、この腐った社会制度にべったり依存してしまっているため、
この仕組みが崩壊すると、
多くの人々が、逆に生きられなくなるということなのだ。
 
今更、たった一人で弓矢を持って、獲物を狩りに平原に、山に、出掛けて行くことはできない。
日々喰うための仕組みが、貨幣経済に寄って複雑に組織され、
労働は、細分化されて複雑に絡み合っている。
でも、その総体である経済社会は、
早晩崩壊してもおかしくないほど、ガタガタに矛盾だらけの偽善的不公平がまん延してしまっていて、
もう、取り返しがつかないところまで来ている。
 
人間社会は、自動的に崖っぷちに向かって突き進む壊れた乗り合いバスであり、
どんな知者がそのバスに乗り合わせていても、
誰にも暴走は止められない。
やがて走っている道の先は断崖絶壁であり、
誰にも止められないそのバスは、やがて、断崖絶壁の前で止まることなく、
勢い余って海に転落するだろう。
 
ただ、ひとつだけ方法がある。
99%の人間が、「もうやってられない。一抜けた」と言ってバスから降りればいいのだ。
99%の人間が降りてしまったら、バスには1%の人間しか残らない。
そうなったら、もうそのバスは走り続けることはできないだろう。
しかし、万一、まだ走り続けるとしたら、
1%を乗せたバスが、断崖絶壁から海に転落するのを、だれも悲惨なことだとは思わないだろう。
むしろ、大笑いして、手を叩いて喜ぶことだろう。