生まれて初めての入院

 
手術をしたことを書いておこう。
 
生まれて初めて入院し、生まれて初めて手術をした。
そして、生まれて初めて全身麻酔をした。
 
点滴をされて、「今から麻酔薬を入れますから、ちょっとピリピリ痛みますよ」と言われた。
点滴の針が刺さっているところがピリピリしてきて、看護婦さんに「痛いですか?」と訊かれたので、「少し痛いです」と言うと、看護婦さんが腕をさすってくれた。そうしたら、だんだん意識が遠のいていき、後のことはまったく覚えていない。
「○○さん! ○○さん!」と呼ぶので目を開けると、どうやら病室に運ばれていたようだった。右手にナースコールのスイッチを持たされたのは覚えている。「ナースコールですよ」と大勢の看護婦さんの内の一人が言ったのは目を開けて分かった。「点滴をしていますから、1時間くらいで意識が戻ってきますからね」と言われたような気がする。「ありがとう」と僕は言った。それからまたすぐに意識を失った。
 
おかしなことに、麻酔が切れたことに気付いたのは、近くでラッパの音が聞こえたからだ。
ラッパの音といっても、メロディーのある、西洋のトランペットとかの音ではなく、豆腐屋のようなラッパの音だった。
豆腐屋が豆腐を売りに来たんだなと思って目を覚ました。窓を見ると、どうやらここはビルの上の方だ。でも、確かに路地を回って歩く豆腐屋のラッパのような音が聞こえたのだ。「とうふや、とうふや」とつぶやいてみた。それから、しばらくして、だんだんと意識がはっきりしてきた。気付くと、ベッドに仰向けに寝かされていて、真っ白い天井を見ていた。
 
しばらく天井の照明を見つめていた。すると左の壁に絵が掛っているのに気付いた。A4くらいのどこにでもあるようなリトグラフのようなイラストのような絵画が、ガラス入りの白い額縁の中に白いマットに縁どられて入れられていた。見ると赤い屋根のシンプルな形の家が6つ画面に均等に描かれていた。その家家の間に、タンポポの種を傘のように持って浮遊しているシルクハットを被った人物が二人いて、カモメのような鳥が5羽、家の間の空白部分に飛んでいた。
 
麻酔から覚めて、まだ論理的思考ができなかったせいかもしれない。その絵を見てとても不思議に思った。普段なら、よくありがちな何でもない絵だなと思って気にも留めなかっただろうが、なんだか、その絵がとても新鮮なもののように感じた。まるで、生まれて初めて、絵というものをみたような感覚だ。無邪気な子供のように、なぜ家が6個も描かれているのだろうと不思議に思った。家は一つで充分だと思った。そして、家以外に描かれている人物とカモメのような鳥の数を数えてみたのだ。そうすると、人物が2人、カモメが5羽いたから、全部で7だ。家の数と一致する。なるほど、それで、この作者は家を7つ描いたのかと、なんだか意味もなく納得した。それから、自分は麻酔から醒めたようだが、頭はおかしくなっていないだろうかと思って、2の二乗の計算をしてみた。かなりの桁まで暗算できたので、大丈夫だと思った。さっき、豆腐屋のラッパが聞こえたが、ここは何階なのか、後で看護婦さんに訊いてみようと思った。
 
それから、少しうとうとと眠ったような気がする。
 
また目が覚めて天井を見上げたとき、自分の人生が、また始まったのだなと思った。でも、この人生、今まではなにもできないまま、ここまで来たんだなと思った。絵を描きたくなった。鉛筆でずっと前に描いたドローイングを元にして、100号くらいの大きいキャンバスに油絵で描きたいと思った。オリジナルだ。ぼくのオリジナルの絵だ。オリジナルというのが、大切なことだということに初めて気がついた。ピカソもダリもオリジナルだ。だったら、ピカソにもダリにもない新しい絵画ってなんだろうと考えた。描かれているものが新しくなければ、描かれたものは新しくない。でも、想像上の生物や形をオリジナルで創造することなど人間にはできない。ダリだってピカソだって、既にこの世に存在している人間や大地や空を描いた。ピカソは新しい描き方で、ダリは新しい組み合わせで。僕はなにを描くだろうか? 人間だ。それと、色彩と形だ。天と地だ。それだけだ。それだけで充分だと思った。頭で考えているだけではなんにもならない。実現しなければならないと思った。
 
気付くとほとんど麻酔は切れて意識が戻っていた。そして、ずいぶんと大きくて綺麗な部屋に寝かされていることに気付いた。かなり広い一人部屋だ。何畳あるかわからないが、ベッドの前には大きな液晶TVが置かれている棚があって、事務用の安楽椅子が置かれている。その他にも、窓際に小さな丸テーブルがあって、椅子が二つ丸テーブルを挟んで置かれていて、枕元の台にはパソコンも置かれている。窓は広々と大きく、もうすぐ夕方になるところだった。その他にも、座ったら身体全部が埋まってしまうのではないかと思われるほど大きな黒い革張りの椅子があり、後から気付いたことだが、寝かされているところとは別に、大きな鏡のある洗面所がトイレと風呂とは別な所にあり、そこを通って出口に行くと出口付近に丸いテーブルを囲んで四人つの肘掛椅子が置かれているスペースがあった。ちょっとしたホテルのスイートルームもどきくらいある部屋だ。看護婦さんが抗生物質の点滴を入れに来た。その後、別の事務員風の女性が来て、「この部屋は特別なのですが、他に部屋がなかったので、差額はいただきませんのでご安心ください」と言われた。安心するもしないも、僕はただ、全身麻酔をされ、手術して、気付いてみたらここに有無を言わさず寝かせられていたのであって、自分がここをえらんだつもりもないし、他の部屋がどんな部屋なのかも知らない。ただ、ものすごく贅沢な病室だとは思った。また後から来た看護婦さんに、「こんな病室に入院したら、5人部屋とかの病室に入院できなくなるんじゃないですか?」と、冗談だか本気だかよくわからないようなことを言われたが、それも、なんだか自分のことのようには感じなかった。でも、考えてみれば、僕が見舞った病人(死につつある人や今ではもう本当に死んでしまった人たち)は、本当に粗末な病室に寝かされていた。一人は、病室にも入れず、処置室の小さなベッドに寝かされて、苦しがっていた。それに比べれば僕は、生まれて初めての入院で、本当に贅沢な、ホテルのような病室に入院させてもらっていることに感謝した。