ボロボロの身も心も、誰にも気付かれないダイヤモンドの光

  
休みの日は、身も心もボロボロで、なにもやる気が起きない。
 
左足首の捻挫も良くならず、でも、歩いていると痛みを感じなくなったり、
逆に急に痛みを感じて、びっこをひいて歩かなければならなくなったり、
とにかく、体重が重すぎるのだと思う。
両足とも痛くて、まったく情けなくなる。
走ることもできなくなってしまった。
ジジイが杖をついて歩いていると思う。
「なるほど、ジジイになると、脚があんなになって、あんな歩き方しかできないのは、
きっと、あのジジイも、痛いんだろうな」と。
 
心も、いろんな人と、一日何十人もの人と話していると、
電話で、直接会って、
初対面の人、訳の分からない人、
クレーム、理不尽な話し、日本語が通じない日本語、
薬物、アルコール依存、精神障害人格障害
被害妄想、自己評価が高くて自分以外を見下してるたいしたことない奴、
チンピラまがい、偉いドクター、弁護士、
本当の人格者、本当の奉仕者
いろいろ・・・
いろんなモード、
いろんな言葉、
次から次へと、
へたすりゃ、同時に3件も4件も
だんだん、言葉がおかしくなってくる。
言葉を省略したり、縮めたりしたくなるが、
そんなことをしたら、日本語にならないし、
こちらの言わんとしていることが伝わらない。
 
ともかく、心もボロボロになって、
休日になるとなにもやる気がなくなる。
 
ゆっくり2度寝でもしようと思っても、
心に刺さった棘のような言葉、映像、人間の顔が甦ってきて
心を乱す。
 
つまり、僕は、不具者のように、
ボロボロの身体と心をもてあまし、
ただ、
時間だけがそれらを癒してくれるのを待つしかない。
 
 
ところで、
明日は、管理組合の年に一度の総会だ。
これで、役員が交代する。
やっと解放される。
書記をやってるから、
総会の議事録を作成しなければならないが・・
それから、議案のいくつかをしゃべらなければならないが・・
面倒だが、
これでやっと、メンドーな義務から、ひとつ解放される。
月一度の日曜の午前中のメンドウな義務。
まあ、何人かの同じマンションの住人と知り合いになれたからよかったのかもしれない。
仕事場で見る何もできない人たちと比べたら、
管理組合で話している役員がすばらしい人たちに見えてくる。
やはり、人間は、それなりに、それなりの環境を、
自分で作り出しているのだ。
ビル・ゲイツビル・ゲイツ
アフリカで飢えてる子は、飢えてる子の?
そうだろうか?
よく分からなくなった。
 
たぶん、でも、そうなのだ。
宇宙は、世界は、法則は、
神は、お釈迦様は、お天道さまは、
”平等”なのだ。 
 
自分で自分の世界を作りだしている。
 
でも、そこに、大勢の人々が係わっている。
何百、何千、何万、何億という人々。
 
それらの関係性によって、
自分が今、このように、いる。
 
そんなのが仏教の思想かもしれないが、
たぶんそうなのだろう。
 
自分の想念、思考、行動、言動によって、
同じような想念、思考、行動、言動を引きつける。
 
だから、できれば、何も考えない方がいい。
何もしない方がいい。
何も感じない方がいい。
 
山に籠って、
たった一人、
だれとも関係せず、
ただ、
本来あるがままの状態のまま
 
本来あるがままの心
本来あるがままの身体
 
それが理想というものだが、
 
その理想は、波をかぶったこともなく、
磨かれたこともない
ダイヤモンドの原石でしかないだろう。
 
原石は磨かれ、
正確な幾何学に結晶化するまで
無駄な形状をカットされなければ、
あのように
キラキラとは光らない。
 
たぶん、そうなのだろう。
 
ジジイになって、
汚い外見のジジイになって、
精神だけはそのように
輝いていたい。