あれから30年

 
あれから30年。なんて言うと歳がバレバレだけど・・・
 
今日、仕事でとっても腹立たしいことがあって、帰宅する途中、ムカッ腹を沈めるために本屋に立ち寄り、立ち読みをしていた。
「なんかいい本ないかな〜」って捜してたんだけど、見つからなかった。
でももう帰ろうと思ったそのとき、読みたい一冊の本を見つけた。
それは、かの天才ダリの本。
 
ダリの自伝を読んで憧れたのがまだ十代のとき。あれから30年も経ったなんて信じられない。僕はその30年を棒に振ったようなもんだ。
ダリのようには努力してこなかった。絵だけに打ち込めなかった。でもあの当時、いろいろなことを考えていたよなって思い出した。
例えば、ロールスロイスをハンマーでぶち壊すパフォーマンス。それはダリが最後に目指していた”不死”を象徴する。なぜそうなのかと言えば、サイバネティクス。冷凍にして保存して何百年後か何千年後に生き返らせる。その頃には医学がもっと発達していて、必ず不死が実現しているだろうから。でも、そのとき、ロールスロイスは依然として富の象徴になっているだろうか? ステータスの象徴のままだろうか? あり得ない。だからハンマーでぶち壊すのだ。説明になっていない? 論理の飛躍があり過ぎて意味がわからない? そうなんだ。飛躍しているし意味が不明だけど、そのとき僕は宝石のセールスマンをやっていた。そして、日産のローレルのターボに乗って日本列島の東西南北に営業に走り回っていた。そのときちゃんと持ち歩いていたのが絵を描くためのノートとボールペンだ。とは言ってもノートは普通の大学ノートだし、ボールペンは黒・赤・青の三色のボールペン。とても安価なものだ。それで暇があると絵を描いていた。宝石の会社にはロールスロイスがあって、社長がデパートの社長と商談したり、接待するのに使っていた。だから、ロールスロイスといっても一般的なものではなく、その会社のそのロールスロイスのことだ。そして、当時まだ生きていたダリの目の前で、さっきのパフォーマンスをしたら面白いだろうなって思ったのだ。もし、ダリが自分の絵画をそのパフォーマンスとバーターすると言ったら、社長はOKするだろうか? そんなことを本気で考えていた。
それから30年。僕は当時の自分が思ったようには絵を描けなかった。ある人に言われたことがあった。僕は、全てを体験尽くした後に描く絵が楽しみだと。でも体験尽くすって、まだまだ僕は体験中だ。そんなことを言ったら死ぬ時だろう。そうしたら、たったの一枚しか絵を描けないことになってしまう。それじゃあしかたがない。
 
兎も角、ダリの偉業に、今更ながら感動しようと思う。