明けまして

 
 
おめでとうございます。
 
去年の30日は、SNくんと飲みに行って、別れてから“竹”に一人で行ったらしい。
どういうわけか・・・
Kはいなかったが、4時半くらいまで飲んで、かなりわけわからなくなって
帰りに自転車がどっかいっちゃって、交番でおまわりさんに文句たれてたのを覚えている。
駅で寒さに凍えながら始発を待って、
目的の駅で降りると、なんだか寒そうな奴がいて、
そいつに持ってた札束渡したのを覚えている。
 
そんなんで、泥酔状態で大晦日
K1を見て、マサトに見習って夜中ジョギングして、帰ってきてから筋トレして、今日元旦。
CBにメールしなきゃ。
 
今日はありきたりの初詣はやなので、一人で観音様の寺に行ってあけましておめでとうを言った。
それから、哲学堂まで歩いて、あの世の橋を渡ったら、なんとそこに見たこともない彫刻群があった。
 
ワグナー・ナンドールというブダペストの彫刻家が作った作品だった。
 
キリスト、釈迦、老子、エクナトン、アブラハムが目をつぶって輪になって真ん中の銀の球体を囲んでいる作品。
ハムラビ、聖徳太子ユスティニアヌスの3人が三角形になってこちらを見下ろしている作品。
もう一つは、聖フランシスコ、ダルマ、ガンジーが同じ方向に向かって歩いていく作品。
 
哲学堂にふさわしい作品群。
 
寄贈されたそうだが、最高の物が哲学堂に来た。
 
そこで、僕も思い出した。
僕も”何かを追及していたのだ”昔。
今は”探究”をすっかり忘れてしまったが、やっぱり何かを”追求”したい。
それに一生を捧げるという生き方は素敵だ。
 
それから、今年は”肉体改造”に取り組む。
「人生が取り返しのつかない時期になって、自分の肉体に気づいた。」
というクープランドのジェネーレーションX(いかしたフレーズの宝庫)の中の一文がなんかとっても気に入った。
僕もまさに
やっと自分の肉体に気づいたのだ。
もう人生取り返しのつかない時期になって。
 
だから、改造に取り組んでみたい。
 
そして、追求する。
追求に取り組む。
個人哲学。
個人思想。
呼び方はなんでもいい。
それが、言葉じゃなくても、
画になってもいい。
立体になっても、ノイズになってもいい。
完成しなくてもいい。
支離滅裂でも、
殴り書きでも、
なんでもいいから
たったの一言がでてくるまで
最後の一言がでてきたら喜んで死ねるような追求がしてみたい。
それだけ・・