何かが終わった

 
 
 
今日、横浜のZAIMでやっていたグループ展の搬出に行ってきた。
午後4時に出て、首都高を走り、横浜公園で降りたのが5時。
それから、すこし迷って20分ほど無駄にしてしまった。
5時に展示は終わりだから、結局、今回は搬入と搬出をしただけで、だれとも会えなかった/会わなかった。
 
これで、今年の私のイベントはほぼ全部終了。
そして、今年のイベントだけでなく、何かが終わった感じが、自分の中では、している。
 
何かが終わった。
 
今まで生きてきて・・・17でドロップ・アウトしてインドに行って、カリフォルニアに行って、
そして、また、この社会にドロップ・インしてから、ん十年。
なんだか、その大きな節目が終わったような気がしている。
 
もう、当分なにもせずに、自分の過去を見つめ直したい心境になっている。
いったい自分は何者なのか? 今さらながら、そのことを問い直したい想いがしている。
だから、過去に読み、洗脳されるほど影響を受けた本をもう一度読み直してみている。
それから、若い時に読めなかった本を古本屋で探して、読み始めている。
 
時間がないから、2、3冊同時に読みながら、同時に、ぼくがかつていたコミューン付近の映像などが、
超レアものとしてユーチューブに出ていたから、それを見たりしている。
 
ぼくは、あの時代というものに、やはり、巻き込まれていた。
あの時代とは何だったんだろう?
”意識の変革”とか”東洋と西洋の出会い”とか”フリー・セックス”とか、”サイコ・セラピー”とか、
なぜ、あの時代、ヨーガとか神秘主義とかの秘教が開示されたのだろうか?
なぜ、あの時代、あんなにも人間の”意識”に若者の意識が向かっていったのだろうか?
ひとつは、ドラッグの影響が確実にあることは確かだ。
LSD、マリファナ、ペヨーテ、などの影響によって、ベビーブーマー達が、反戦、平和、
フラワーチルドレンたちがユートピアを志向し始めた。
そして、同時に自らの意識の内側を覗き見ることを覚えた。
ドラッグによって、大脳新皮質の左脳的思考がマヒしたことによって、
右脳的、直感的感覚に目覚めたから。
それと同時に、あの時代、インドで、悟った”グル”が、たくさん登場してきた。
悟りとはなんだろう?
解脱、悟り、ニルヴァーナ
意識の究極的恍惚状態、サマーディ。
最大限の幸福、そして、人間の自由。そして、その自由を保障される共同体の実現。
そのためになされれべき、自らの意識の変革と解放。
フリーセックス。社会的因習からの解放。
それらが、堰を切ったように噴出してきた時代。
ぼくは、その時代の潮流のいくらかに、やはり、巻き込まれたのだ。
 
私は誰か?
このもっとも重要な問いは、17の時から今まで問い続けてきたが、未だに答えが分からない。
でも、この年になって、自分の中で、なにか一つの節目が終わったような気がしている。
 
これから、社会的には、とっても恐ろしいことが起こりそうな気がする。
 
なぜだか分からないが、そんな恐怖を感じる。
 
ただ、自分自身は、もう、面倒なことはやるのは止めようと思っている。
なにもしない。
これでいいと思っている。