ざっとこんな具合に・・・

 
 
 
きのうはちょっと薬が効きすぎて、朝起きれなかったから
今日は、薬を飲むのをやめよう。
ジンが冷蔵庫にあるかと思って開けて見たが、
日本酒しかなかったから、それも飲むのやめた。
 
今日は明け方まで眠れないだろうが、まあいい。
 
いつものように新聞屋のオートバイの音が聞こえてきて
カラスがカアカア鳴くだろう。
 
それまで、いったい何を考えていればいいのだろう。
 
真っ暗な闇の中、例えば…
だれかさんとデートしているのを頭の中でシュミレーションしたり?
でも、自分の顕在意識で意識的に喚起させる想像って限界があって面白くないんだよね。
意外な展開っていうものがない。
その点、自我意識を失ってから見る夢には、意外性がある。
自分の無意識が紡ぎ出したストーリーかもしれないが、自分でも予想がつかないから面白い。
それを顕在意識を保ったままできればいいのに・・・ん?
そうなったら、もう狂人?
たぶんね。
 
たぶん、狂人って、幸せかも。
面白いかも。
ぼくもかつてはそうだった・・かも・・・?
 
そんなとき書いた文章があって、
読み返してみると、まったく訳が分からない。
というより、ばかみたいだ。
それが、
そのとき、
とっても”オリジナル”な文章だと思っていたんだから、
余計に可笑しくて、腹を抱えて笑ったものだ。
その文章は、いつ読み返してみても大笑いする。
だから、大切に保存してある。
めちゃめちゃ汚い字で書いたノートの切れ端。
 
内容は、
誰かの家が火事になる話。
 
それがどうしたか忘れたが、
火事と言えば連想するのが次の二つのストーリー。
?ゲーテファウスト
?法華経の方便本(?)だったっけ?
 
”火事”とは、つまり
かなり意識状態がつきつまった限界まで来てるってこと。
 
やばいよね。
地震、雷、火事、オヤジ。
 
ぼくのストーリーには”他人”なんて出てこないけど…
出演させるとしたら、どんなキャラがいいだろう。
今まで感動した登場人物だったら、
例えば、カラマーゾフのスメルジャコフ、
それから、
『城』の
あの二人の助手。
あんなのがいい。
世俗的で、現実的で、本当は頭がおかしいのに、したたか過ぎて、
どんな登場人物も太刀打ちできない最強のキャラ。
今で言えば、”サイコ気味”な奴が、
それなりに、自分ではまじめに思考しているのだとしたら、
それを一人称で書いたら、
それが、きっとぼくの私小説になるのかも・・・?
 
という訳で、
忌まわしい”私”を殺して、
めでたく”脱近代”を達成するために、
株価の急落と供に、
何か、新しい文章でも書き始めようか?
 
例えば、”火事”で始まり、
生き残った”サイコ”が、
まじめに思考する、一人称小説。
 
当然、そのときの”思考”は、
他人に向けての”演説”ではなく、
彼の勝手な空想による”世界の再構築”なのだ。
 
空は空虚だから在るのではなく・
無に海の青が映り込んでいるから青いのだ。
 
出会った人間が、自分に命令するのは、
自分が使用人だからではなく、
前世で自分が王だったからだ。
 
身近で殺人が起きるのは、
自分が”サイコ”だからではなく、
人間が運命に翻弄されているからだ。
 
ざっとこんな具合に・・・
 
日曜に教会に通うのは、
終末が預言されているからではなく、
愚者が自分を終わらせたいからだ。
 
ざっとこんな具合に・・・
 
日曜には教会に通い、
週末までに、
トラブルの種を必ず一つ播く。
 
その種から、
世の中のもろもろの出来事が芽を吹き出す。
 
そんな人間が、必ず人知れずに存在する。
それも、もっとも目立たず、
もっとも、底辺に。
 
そうした人間のイマジネーションに、
どこまで想像力が言及できるか、
それが最先端の言語を”解体”することに繋がる、
とっても重要なことなのだ。
言語を解体すれば、
”歴史”は終わる。
醜い進化が終焉する。
バスチーユの城壁は破壊され、
囚人は解放される。
犯罪が善悪の彼岸を超えるまでは、
本当の革命は起こらない。
 
『狂犬革命』