たんこぶがひとつ消えた…が…

 
 
今日、試験が終わった。
今年のメインイベント、目の上のたんこぶがやっと消えた。
これで結果が良ければ、なおいいのだが、
あとは運を天にまかせるだけだ。
 
昨日、戸山のキャンパスのベンチで昼寝をしたのが悪かったのか
なんだか、また、喉が痛くなってきた。
ずいぶん弱い身体になったものだ。
若いころは、トレーナー一枚でカリフォルニアの山の中を
夜中、駆け回ってもなんでもなかったのに。
最近は薬漬けだ。
咽喉が痛いから、さっそく痛み止めを飲んだ。
夜も薬を飲まないと眠れない。
 
昨日は、秋晴れの空が気持ち良くて、久々に”快楽”を感じた。
秘かな歓び。ささやかなエクスタシー。
それを感じると、なぜか必ず次の日に風邪をひくらしい。
どうなっているんだろう。
  
有頂天になっていると、闘争本能とか警戒心が薄れて
免疫力が弱まるのかもしれない。
本当は、大脳旧皮質の活動だけで生きられればいいのに
最近は新皮質、それも左脳に偏重しているから
バランスが崩れたのかもしれない。
”自然”(秋)を感じると、
本能が刺激されて、この社会からの逸脱を誘発する。
そのために体調を崩し、活動できなくさせる。
咽喉にあるチャクラはバセドウ甲状腺ホルモンで、
働け働けと命令するホルモンだ。
闘争、逃走、どちらにしても、走らなければならない。
そいつが、脳下垂体そのものから抑制しようとする薬を飲んでいるから
ぼくは、逆に、闘争本能に敏感になる。
そして、最近感じるのは、闘争のない平和な環境に身を置きたいということだ。
 
ゆっくり秋の風景でも写生したい。
 
できれば、周りに誰もいない自然の中で。
 
人間が360°の視界に入らない所で。
 
要するに、人間の闘争は、言葉だ。
もうすでに、この社会では暴力は通用しない。
だから、言葉による論理武装によって闘争する。
でも、そうした論争そのものもまた
本当は、不必要なものなのではないか。
自然の恵みの恩寵を受けて
言葉ですら、別のものに変えられる。
たとえば、野蛮ではない詩に。