もう秋だから/なのに…

 
 
 
 もう9月も終わろうとしている。
 それなのに、出版社からなんの連絡もないということは、
 春に投稿した”小説”は全部
 だめだったということだ。
 
 卒論を書き直した『狂犬革命』(363枚)
 短編『おしろい花』(87枚)
 短編『もうすぐ夜』(99枚)
 
 いずれも傑作だ。
 (自分で言わないで誰が言う?)
 
 たしかに、文章はそんなにウマくないかもしれない。
 ”てにをは”も多少おかしいかもしれない。 
 でも、そんなの編集者の仕事じゃないか。
 ただ文章が上手いだけの文体小説家の小説なんて
 読んでいて全然面白くもおかしくもない。
 それに比べて、この俺の小説は、
 他の誰にも書けない。
 体験に基づいているから、本当はとってもリアルなのだけれど、
 若いときに普通の日常しか体験したことのない者にとっては
 理解できない代物なのだろう。
 つまりはそういうことだ。
 なんでもかんでもレッテルというのが貼られる。
 これはバロウズ、これは村上春樹、これはヘルマンヘッセという具合に。
 そういう先入観頭でしか読めない編集者しかいないから
 あんなにも文学新人賞はつまんないのだろう。
 ただ書きゃいいってもんじゃない。
 
 でももういい。
 どうせ、本なんか売れやしない。
 せいぜいつまんない本を出版して、返本の山にするがいい。
 
 この日記の貴重な読者のために、
 ”そのうちに”(ちょっと暇になったら必ず)
 没になった小説全部を公開するつもりだ。
 
 ディスプレイ上で363枚の小説を読むのは目が疲れるだろう。
 でもしかたがない。
 だれも活字にしようとしないのだから。
 
 というわけで、今年の”夢”は無残にも潰えた。
 
 来年また挑戦したい。
 
 今度は更に文体もストーリーも何もかも滅茶苦茶なものを書こう。
 
 ルネッサンスマニエリスムSF(サティス・ファクション)。
  
 当然、言葉自体を解体することを目論む。
 
 脱近代化というエピステーメーすら笑いものとなる歴史の存在しない言語。
 
 反フロイトシュレーバー言語。
 
 
 はたして、どこそこの編集者は、ついて来れるかな?