秋葉原無差別殺傷事件について思うこと。
 
犯罪は、社会的弱者にそのひずみが現れたもの。
と言ったのはツラトゥストラ先生だったが、
今回の事件を見ていて、それを痛感する。
 
貧富の差がなければ、泥棒はいなくなる。
つまり、貧しい者のうち、最も弱い者が泥棒という犯罪行為に走る。
それは、社会に”平等”という理想が未だに実現していないからだ。
 
今回の事件はまさに日本の現状の縮図ではないか。
 
住み込みの工場派遣社員が会社から一方的に解雇をほのめかされる。
現在、ネットカフェ難民と言われている者の内、派遣社員が職を失ってそうなった者が多いという。
派遣社員はいわば工場の使い捨ての消耗品だ。
中国の安い労働力と国際的に競っているのだからしかたがない、ということらしい。
派遣社員を使い捨てにする企業の論理が合法化されてから、若者は(特に工業系の)そういう処でしか働けなくなってしまったらしい。
僕も旋盤工や印刷工や大工的なことをしていたから少しは分かる。
季節労働者として自動車の部品組み立ての工場で働いていたという仲間から話を聞いたことがあるが、一日中休む暇もなく働かされるらしい。まさしく歯車だ。帰ってきて疲れて寝るだけ。そして次の日はまた一日中ベルトコンベアーの流れ作業。それでも、その頃の季節労働=短期社員は、バイト代も良かった。当然、派遣などというピンはね労働者搾取の人身売買はその頃まだ行われていなかったし、中国も資本主義化していなかった。
つまりは、こういうことだろう。
月20万の月給で人材派遣会社から工場に送られた”ピンはね労働力”は、まるで工場の部品のように働かされ、解雇されると蓄えもなくネットカフェ難民になる。
つまり、”国際競争”という名の元に日本が小泉・竹中改革で”自由化”された結果、強い者が勝つ”自由競争社会”で最も弱い者が今回の”犯罪”を犯した。
世界に誇る”アニメ・オタク文化の殿堂”のアキバで、日本近代史上最悪の惨事が行われた。
まさに、現代日本の縮図ではないか。
政治家のあまりにも無策ぶりに、もう誰も政治などに期待していない。
セーフティーネットセーフティーネットと叫びながら、それをどんどん外してきた。
国際競争、国際競争と叫びつつ、ただやみくもに、金融資本家だけを肥え太らせてきた。
まったく労働もしたこともない者が、大金を右から左に流すだけで、更なる大金を儲ける仕組み。
国家はそこから税金を取ることもせずに、ただ、そうした”自由競争”の原理だけを取り入れるてきた。
そして、今、日本が世界に誇れる文化は、アニメだけになってしまった。
そんな”国家”で生きる若者は、良くても派遣社員、悪くてフリーター、さらにはニートとなって、オタク化し、ゲームをしてDVDを見る。
ハリウッド映画の殺しか、日本のお化け映画を見て、ゲームで人を殺してストレスを発散させ、また次の日、労働する。生きるために。
 
そう、僕は今回の事件の真の責任は政治家にあると思う。
国会で無益な権力闘争をしている間に、この社会は夢も希望もない、過酷なサバイバル社会になりつつあるのを、資産家の2世、3世であるお偉い国会議員の先生は気づいているのだろうか?
 
マスコミも同様に、今回の事件を一異常者の犯罪として報道している日テレのような報道機関もあったし、社会的問題として捉えたフジのような報道もあったが、いずれにせよ、ただセンセーショナルな一過性の事件としてすぐに忘れるのだろう。
 
折しも、アメリカ民主党の大統領候補がオバマになったと報じられた。
 
はたして、オバマが大統領になったとして、大きな闇の権力に、どこまで対抗できるのか、否、どのようにそれに摂り込まれていくのか(そう、僕は悲観的だ、誰がなったってそれに太刀打ちできっこないと思っている、暗殺されたケネディーすら信用していない)、見ていきたいと思う。