チャリで散歩

 
午後、雨がやんだから、チャリで街をブラブラしてみた。
最初に行ったのが古本屋。
背表紙だけ見ていてもどれが面白い本だかわからない。
小説はやめにして、画集を見てたら「クノップフ」の画集があった。
「私は私自身に扉を閉ざす」(確かそんな題名だった)っていう絵を展覧会で見たときとてもショックを受けた。
ナルシストのメランコリックもここまでくると病気だ、いい意味で、神秘主義だと思った。
古本の画集をペラペラめくってみると、確かにいい絵がたくさんあった。
とくに木炭だけで描いたデッサンは秀逸だった。
 
チャリに乗って、百観音寺に行った。
墓なのだが、墓石が全部、観音様になっている。
僕はここが好きだ。
夕方行くと少し気味が悪い。
でも今日は日がまだ高かったから、不気味な感じはしなかった。
幸い人が一人もいなかった。
雨上がりの五月だけあって、蚊のような虫がほこりの塊のように空中に浮かんでいた。
高い大木からも、なにやら花粉だか木の蜜だかが落ちてきて、空中を舞っていた。
下は緑色の苔が生していて、雨に濡れた泥の地面が滑った。
 
きれいなお顔の観音様を見つけた。
思わず合掌した。
「みちびき観音」と書いてあった。
僕もずいぶん導いていただいたよな。
道に迷ったとき、不思議と道が開けた。
ずいぶん道に迷ってきたから、ずいぶんと「みちびき観音様」のお世話になった。
ありがとうございます。
と言って手を合わせた。
まだまだこれから左に行こうか右に行こうか迷うこともあるだろう。
そうしたら、今までそうしてきたように
僕は自分の直観に従うだけだ。
それが試行錯誤の僕の生き方。
 
そういえば、そこは大木の緑に空高く覆われていて、
小鳥たちが古代の武蔵野を彷彿とさせるように、野生の声で鳴いている。
その一角だけまるで異次元の緑のドームに覆われているようなところだ。
ぼくは耳を澄ませた。
そして気づいた。
いつもキーンと聞こえている頭の中の耳鳴りが消えていることに。
あの耳障りな耳鳴りは、きっと野生と乖離していることのサインだったのかもしれない。
しばらく、耳鳴りの消えた耳で、小鳥たちの鳴き交わす声を聞いていた。
 
チャリに乗って次に行ったのは神社だ。
手水でお清めをして、参拝した。
伊勢神宮の流れをくむ神社のようだ。
本殿の裏に大木が立っている。
神社、寺の境内、墓にだけ、古木の大木が残っている。
一歩街に出ると、オートバイがすぐわきを我がもの顔で通り過ぎ、車がエンジンの音を立てて排気ガスをまき散らして通り過ぎる。
だから僕は耳鳴りがするのだ。
 
昔借りていたアパートの近くの大きな公園にも行ってみた。
やっぱり猫がいた。
いつもそこにいて人から食べ物を貰っている猫。
何匹か公園に棲み着いている。
だれかが緑の下でコンビニ弁当でも食べようとするのだろう。
そこに猫が近づくと、たいていの人は善人だから、おかずの一つでも投げてやるのだろう。
そんな、弁当を食べるにはうってつけの、大木に囲まれたベンチがある。
今日は雨上がりで濡れていたから、そこには座らなかった。
でも、ぼくがここに住んでいた時は、毎日のように夜中、この公園にきてそのベンチに座った。
星や月が大木の葉っぱの間から見えた。
 
その近くに、昔、龍が舞い降りたという言い伝えのある祠がある。
そこは馬頭観音も祀られている。
小さな石地蔵のような観音様が数体、小さな祠の中に並んでいた。
帽子をとって合掌した。
そこを通るといつも思ったものだ。
龍が舞い降りたり舞い上がったりしそうなバイブレーションのする一角だと。
そこだけなぜか、空が近くに感じられる。
それも高い高い、あの世に繋がるような、快晴の空だ。
雨が降っていても曇っていても、そんなイメージがしてくる辻。
 
ひととおりチャリで回って、最後に行き着いたのが、商店街でもない路地で営業しているつけ麺屋
よく行く店だ。
つけ麺がいまどき500円。
でも店は小さいし、目立たないところにあるから繁盛しているのかどうだかよくわからない。
ニンニクと生の玉ねぎと刻みチャーシューが入っていて、太麺の本格派だ。
くだらないTVがつけっぱなしになっていたから、イヤフォンの音楽で聞こえないようにしてつけ麺をすすった。
やっぱりうまい!
今日は特に麺がつるつるしていてうまかった。