台風通過

日本列島に台風は上陸しないでかすめて行った。
もっと降ると思ったのに今日は午後から晴れたから、帰りは傘がいらなかった。
 
昔、旋盤工をやっていたとき、工場からの帰り、よく銭湯に立ち寄ったことを思い出した。
その頃は、タオルと石鹸と小さなシャンプー、髭剃りをいつも小さな袋に入れて持ち歩いていた。
工場の近くの銭湯は、サウナもあって、サウナ料金を払うとタオルも貸してくれた。
銭湯から出ると、行きつけの定食屋で幕の内弁当のセットを食べた。
これがすこぶるうまくて安かった。
おかずの種類も豊富で、量も多い。
クリームコロッケ、肉団子、マグロの刺身、ゆで卵のマヨネーズあえ、ケチャップのスパゲッティー、サラダ、もちろん黒ごまをかけた小梅が乗ったご飯、それに味噌汁と食後のコーヒーもつく。
全部食べると、さすがの僕でも腹がいっぱいになった。
定食屋を出ると、あたりはもう暗くなっている。
ちょうど近くにどぶ川が流れている公園があって、
川べりに誰も行かない一角がある。
鉄柵に座って、一人で夕涼み。
コウモリが何匹も飛んでいて、頭上をかすめていく。
僕はコウモリが好きだ。
コウモリが飛ぶのを見つめているとなぜか気分が落ち着いてくる。
しばらくして、コウモリの食事がまだ延々と続く中、僕はチャリに乗って家に帰る。
  
あの頃はよく銭湯に行ったな。
工場の近くの銭湯だけじゃなく、チャリをこいでであちこちの銭湯に行った。
サウナがあると必ず入った。入浴料に少しばかりのサウナ料金を足して。
小さいサウナもあったし、大きいのもあった。
中で流れているBGMも色々だった。
ほとんどが有線だろうが、かけているチャンネルが銭湯によって違う。
演歌や、懐メロなんかが、聞き取れないくらい微かに流れているサウナがあった。
大きさも人が一人入ったらいっぱいになるほど小さくて、しかもうす暗い。
なんか不気味だと思った。
でも、そこで一人で汗を流していると、なぜかいろいろなことが思い出されてきて、気味が悪くなってきた。
もしかしたら、このサウナの中に、自縛霊が閉じ込められているんじゃないだろうかと思ったりもした。
環七に面していて、外見は大きな銭湯だった。
 
工場から安く借りている寮のアパートに帰ると何もやることがない。
台所でよく絵を描いていたな。
描いているうちにめちゃくちゃにして、しまいには筆も使わず、手で絵具を塗りたくっていた。
今みたいにヘッドフォンなんてつけないで、CDからツェッペリンをがんがんかけて泣きながら描いた絵があった。
あの絵はどうしただろう。どこへいっちゃったんだろう。
構想なしで、デッサンもエスキースもなしで、ぶっつけ本番、めちゃくちゃになったらそれでお終い。
そんなやり方では、本当は、なかなかいい絵は描けない。
少なくても、木炭で下絵くらい描かないとだめなのを知っている。
というか、木炭で下絵をうまく描けたら相当いい絵になるのは決まったようなもんだ。
でも、木炭でそんな下絵すら描かずにいきなり絵具を塗りたくって、チューブから直接塗りたくって、キャンバスの上で混ざって、やがて何色だかわからないような灰緑色のめちゃくちゃが出来上がる。
そうなると、もうそれ以上、絵具も上に乗らなくなる。
そうなったところでやっと我に返り、夜食でも食おうかと、インスタントラーメンをゆでたりして食べて、蒲団を敷いて寝る。
 
どんな風に寝ていたのだろうか。
忘れてしまったが、たぶん、枕もとに電気スタンドを置いて、時計のタイマーを仕掛け、傍らに読む本を広げ、音楽を掛けながらそれを読みながら、眠りについていたように思う。
 
台風が来た日を覚えている。
その頃僕はバイクに乗っていた。
その日もバイクに乗って大雨の中を走って帰ってきた。
全身びしょびしょになって寮の部屋に辿り着くとすぐに、着るているものを全部脱いで、
クレヨンを握って一気にB全の紙になぐり描きをした。
笑いながら…。
 
きっと気持ち良かったのだと思う。