インド料理屋

今日は、久しぶりに親戚に会った。
年下の従弟。
インド料理屋で夕食を食べた。
僕が日本で一番おいしいと思っているインド料理店に連れて行った。
赤ワインと梅干しカレーとタンドリーチキンとナン。
僕がインドに行ったのは17歳のとき。
そのことを聞かれたが、もうその頃のことは覚えていないと答えた。
つまり、僕はもちろん若かったし、
新興宗教にかぶれていたという負い目も感じるし、
(そのときは本当のグルだと思った。でも、何万人もの弟子をとること自体がおかしいことだということに気付かなかった。いや、疑い深い僕は気づいていたかな…。)とにかく、「宗教に走った」というとアブナイ奴というレッテルが貼られる。
それに、ぼくは大学にも進学せず、そのまま、各地を転々とする居候の転落人生がそこから始まったし。
つまり、親戚縁者たちは、ぼくのことをそう見ているに違いないのだから、今更インドのことを話す気にもなれない。
つまり、親戚縁者にとっては、普通の生活を送っている今の僕は厚生をとげて回心した元落ちこぼれの危ない奴なのだ。
それは、多かれ少なかれ真実でもある。僕を知っている人にとって共通の見方でもあるのだろう。
いろいろと職を変えたことを話すと、「人生なめてんじゃない?」と言われたこともあるが、冗談じゃない。
職を転々としながらも働いて稼いできた。それなりに仕事を覚え、こなしてきた。若いころは、一つの所に安住できなかっただけだ。
だから、ちゃんと大学を出て就職して、そのまま挫折も体験したことのないような人にとっては、僕みたいなのは許せない、理解できないのかもしれない。
でも、今日は珍しく、従弟とたくさん話ができた。
未だにグルの弟子で居続けている人もたくさんいる。でも、僕にはできなかった。一時、映画スターの熱烈なファンになってもやがて卒業するように、僕はグルから卒業した。煙草を吸っても今では禁煙しているように、未だにドラッグに染まっている人もいるが、ぼくはドラッグも卒業した(既に十代で…)。そして、一番難しいこと”普通”というものになった。そう書いたら、ミクシで、魯仙人なる人からマイミクを一方的に切られた。そんなに生意気に聞こえたのだろうか? それとも何に怒ったのだろうか? それ以外でも、思わぬことでアクセス拒否されたり…、ネットコミュニケーションは難しいものだと感じるときがある。
ともかく、まったく”普通”の生活から何が生み出せるのか、それともこれで終わるのか、自分を試しているところだ。
もう年も年だし、今まで散々おかしなことをしてきたのだから、このまま年をとって、老後の年金生活を夢見てあの世に行くのもいいだろう。
僕は所詮、詩人にも画家にもなれなかった。「あいだみつおは書家ではない、あいだみつおはあいだみつおだ」と言った書家の先生がいたが、名言だと思った。僕も詩人でも画家でもないが僕自身なのだ。それだけは変えられない。
つまり僕にも親戚もいるし親兄弟もいる。そして、親戚にとってはちょっと変わった存在なのだ。
そんなことを想いながら、日本で一番おいしいカレー屋でカレーを食べた。