ニルヴァーナ

昨日は、久しぶりにzenとkatuに会ったから、今日はカート・コバーンのDVDを借りてきて見た。
そして、ついでにネバーマインドを聞いている。
確かにニルヴァーナはロックを復活させたんだろう。
どの時代でもロックを復活させたバンドはヒーローになる。
デジタルじゃどんなに音楽性が優れていてもだめだってことだ。
つまり、エレキ・ギターとベースとドラムってことだ。
それで音楽を作るわけだけど、そのときなにを目指すかが問われる。
つまり、ロックには反逆が必要ってことだ。
ところがこの”反逆”すら、コマーシャリズムに利用される。
そこが売りなのだ。
”反逆”,”反社会”を売りにしてロックバンドはメジャーになる。
 
ところで、ニルヴァーナっていうネーミングが気になる。
実にいいネーミングだと感心する。
言わずと知れた、ブッダの至高の境地。
生きているブッダでさえ到達できなかった最終的な涅槃。
まるでそのネーミングを追いかけるようにカート・コバーンは涅槃に自ら逝った。
それが、なにかロックに殉教した聖人のように、
彼の”反逆”が本物だったことを証明しているように感じられて、
ニルヴァーナは伝説にまでになった。(のかもしれない・・・)
 
じゃあ、僕が例えば今バンドを始めるとしたら、
なんていうネーミングにしようかって考えると、
たとえば、
サマーディ?
マハムドラー?
アナッタ?

インドっぽいのがいいってわけじゃないし、
じゃあ、
クウとか?
サトリとか?
ムとか?
日本の禅用語でもいいのではないか。?
それとも
オミキとか
タマグシとか
サンパイとか
神道用語もまたおつかもしれない。
まあ、
ネーミングよりも要は音が大切なわけで・・・
 
ネバーマインドを聞いていると
やっぱ、パンクなのかなって、
ドラムを聞いていると思う。
それとメタルっぽさもあるし
それが微妙にマイナーに抑えられていて
ネガティブな感じがするところが新しいかったのかも、
なんて勝手に思ったりする。
シアトルっていう寒くてローカルなところから出てきたうっ屈感が
ロンドン・パンクにはない暗さとスケールを感じさせるのかもしれない。
 
まあ、評論家じゃないからどうでもいいのだが、
僕にはちょっと巧すぎるように感じてしまって、大ファンにはなれそうにない。
下手なバンドが好きだから。
完璧に曲がレコーディングされているより、
なんか手作りの不完全さがある方が僕は好きだ。
チャーリー・ワッツの外したおかずや
ジョン・レノンの上ずった声などは
何度聞いても飽きない味になっているような気がするのだが・・・
 
シアトル発のロックはありでも
TOKYO発のロックってあり得るのかなって
少し疑問に思った。