のどが腫れて、死にそうになったことは以前書いたとおりだ。
 ところで、その際処方された抗生物質の量が多すぎたようである。
 普通は最高で一日3錠のものを毎食後2錠づつ飲み続けた。
 おかげで、頭が痛くなり、全身の筋肉が痛くなり、口の中に口内炎ができて水を飲むのも痛くなり、そして、全身の皮膚がかゆくなり、蕁麻疹ができている。
 死ぬほど苦しい。薬はこわい。
 
 ところで、ウインドウズのアップデート、わずらわしいぞ!
 マックにはこんなのないぞ!
 いい加減にしろバカ! マイクロ・ソフト!
 こんなんで時間ばっか使ってコンピュータの自己言及ループは
 いずれ、カオスに突入するぞ、このソリッド・ステート・グローバル・スタンダードビルゲイツよ、お前もそろそろ死んだらどう? もう、マイクロソフト・トリップはもう飽きたぞ!
 予言:
 私は小沢が好きではない。キライだ。はっきり言って大嫌いだ。
 巷の政治通は小沢を評価している向きもあるようだ。また、小沢民主党に期待する向きもあるようだ。
 しかし私は、普段は嫌いな石原都知事の言っていることに同感する。
 すなわち、ブッシュ父の湾岸戦争のとき、90億ドルの支援を決めたのはあの小沢である。どんな国益があったか? いったい貴様にあのブッシュ父の戦争犯罪に90億ドルもの支援をする決定を下す、いかなる正当性があるのか? クソの役にも立たなかった税金の米国へのへつらいによる献上に対する、ニッポン男子たる責任を取れ! ということだ。
 しかも、クソ小沢は、そのとき何と言ったか?
「金だけじゃなく、汗を流す貢献を、“国際社会”に対して、日本はしなければならない。」と言ったのだ。しかも、この“汗を流す貢献”とは、“血を流す貢献”であると、“当然”という言葉とともに言ってのけたのだ。即ち、「ニッポン国民は、ブッシュ父の戦争犯罪に対して、命がけで湾岸戦争に参加すべきだ。金ばかりでなく・・・」と
あの小沢は、“国際、国連主義、外交、ドクトリン”という、ばかげた理論を振りかざし、ニッポン国民を戦争に導き、女子供を無差別爆撃する片棒を担げと公言したのだ。
 まだ、靖国に参拝する小泉のほうがましである。あの小沢は、もし首相になったら、かれの独断的理論を、国民に押し付けることを“正義”とするだろう。
 あのいまわしいブッシュ・アメリカの正義を思い出すがいい。それが、今度は、日本においては、“オザワの正義”が声高に叫ばれるだろう。想像するだけでも吐き気がする。
 ところで、オザワのオカルト面を書いておこう。
 知る人ぞ知る。
 オザワは、芹沢光次郎の小説に登場する。
 芹沢の小説は、中山みきの神さまの話である。
 そこにオザワが登場する。
 神様のお水をもらいにきて、そのおかげで病気がよくなる。
 親神さまは、オザワの命を救ったのだが、なぜなら、オザワに神様の御用をさせるつもりだから、だというのだ。
 芹沢は、そのお告げを聞いても、賢明にも「私にはわからない」と言っているだけだっだ。
 たしかに、オザワはその後、竹下派から飛び出して、日本新党という新しい政権を発足させた。しかし、細川は権力の権謀術数に嫌気をさして、急に首相をやめてしまう。
 オザワの目論見は、いつもエゴイスティックで、誰もついてこない。しかし、権力への色気を起こした奴をくどき、いつも御輿を担いで、裏からあやつろうとする。
 しかし、今回は、自分で党首になった。
 見上げたものだが、
 石原都知事が言うように、過去の汚い経歴は消し去れない。というより、そうしたことを行った責任をまずとるべきだ。すなわち、政界から引退しろ。
 というわけで、もし、オザワが政権を取ることになったら、どういうことが起きるかを予言しておこう。(天理教の神だけが、唯一全能の主催神ではない。神は神々。)
 オザワは、内政の改革をしようとする。しかし、実際は、外交に振り回されることになるだろう。“国連中心主義”というグローバル・スタンダードを信奉し、結局はアメリカに追随するだろうが、その頃、世界は、逆転しつつあるだろう。すなわち、ローカルなグループが、資源の国際価格を左右する政治的決定権を持つようになり、アメリカ一国主義を包囲する新たなスタンダードができつつあるだろう。したがって、時代に後れた旧:アメリカン・スタンダードの信奉者は、
“地球環境”という新しいスタンダードから外れて、力を失うだろう。
 中国の経済発展によって、この“地球環境”スタンダードが、実際の現実的な力を持つようになって来た。すなわち、二酸化炭素排出量の急増と、地球環境破壊の進行である。
 国際企業も、エネルギーメジャーも、石油原子力産業も、地球環境の激変に対しては無力である。
 そのとき、“国”という制度は、無力となる。軍事力も無意味となる。いったいこの期に及んで、誰が、誰の命を奪おうとするのか? もちろん、国境も無意味となる。
 気象の変化、農作物の収穫の激減、飢餓の拡大。そのとき、銀行の残高にどれほどの意味があるだろう。 しかし、そのときでも、人間は人間を支配しようとして、暴力で脅し、容赦なく殺すだろう。
 しかし、そのとき、すでに、脅しによる“政治力”は、人間にとって、生物にとって、なんの意味も、価値もなくなるのだ。
 
 したがって、いまだにマッチョな“政治力”を志向する“政治家”は、もはや、“自国”の“国民”にとって、なんの利用価値もないのである。
 すなわち、女性に人気のないマッチョな政治家の政策は、すでに無意味であり、無価値なのである。
 女性とは、子供を愛し、平和を希求する魂のことである。