最近のこと

 先月、大きな布に描いたクレヨン画にフィクサチーフを塗ったら、光沢になってしまったことを書いた。そのあと、世界堂に行き、大瓶のフィクサチーフとマットのバーニッシュを買ってきて、さっそく完成したクレヨン画にフィクサチーフを全体に塗った。そして、渇くまで2,3日待ってから、マットのアクリル・ヴァーニッシュを塗った。成功だった。ライトを上から当てても画面が光って見えなくなった。マットに仕上がっている。クレヨンで描いたところを上からこすっても、手にクレヨンがまったくつかない。これで大丈夫だと思い、早速、画鋲で貼り付けていた壁から下ろして丸めた。いつかどこかで、これを展示する日が来るかもしれない、と思いながら。
 ところで、学校も今年4年を迎える。卒論も書く予定だ。ところが、今、寝込んでいる。咽喉が腫れたのだ。
 医者に行くとこう言って脅された。つまり、死ぬかもしれない、それほど悪いことを自覚しろと・・・。
 確かに咽喉の腫れ、そして、荒れはひどかった。気管支を塞ぎ、呼吸困難で死ぬ。毎年、一人は死んでいるという。たしかに、息も苦しいし、酸欠のせいか、頭も痛いし、筋肉も痛む。夜も眠れない。
 そんな中で考えていたことは、卒論のことだ。小説を書こうと思っているが、何を書いていいかわからない。いろいろと漠然とイメージするのだが、思いつき、構想といったものは、僕の場合なんの役にも立たない。実際にどんな言葉の連なりになるのか、書いてみないと分からない。
 そうしたら、なんと、英語で文章をつらつらしゃべっている夢を見た。不思議なことにパラレルにすぐに日本語に翻訳されている。簡単な自己紹介から始まって、自分の思想を述べる。しかし、この世界に閉じ込められている時間に対して思想は無力だということから始まる。まー、僕は頭の中、いつも違うこと考えているから、どんなインスピレーションにしても、ことさらどうと言うこともない没になる案でしかないのだが、もう一つ構想がある。主人公が三人いる。同じ自分が三人いる。
 たぶん、構想どおりに書けたら、きっと傑作ができるのだろうけど、難しいと思う。
 結局なんなんだ。と問われるだろう。思想小説にしたい。人生はオカルトでもあることをごく普通の生活の中から悟りつつ、ユートピアを志向する。どこにユートピアを求めることができるかの試行錯誤を、既存の思想のオモチャで遊び、飽き、投げ捨てることから学習していく。そんな小説が書ければいいと思っている。