ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』

 第二文学部表現芸術系専修 1年生のときのレポートです。現在、私は3年生。
 ちなみに、この年(2003)、ブッシュが大量破壊兵器拡散防止のためという、現在では虚構だったことが明らかになった“大義”を理由に、アメリカ軍がイラクに侵攻した年です。
 レポートの最後で「テーベから出て行くべき」と言っているのは、勿論、“自衛のための先制攻撃”が許されると言って、罪もない女子供を無差別に空爆したブッシュ率いるアメリカ軍のことです。



 『存在の耐えられない軽さ』を読んで



 チェコスロバキアの作家ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」(1984年刊)(集英社文庫 千野栄一訳 1998年 第一刷)を読んだ。私がこの本を選んだのは、彼がチェコの作家だったからだと思う。カフカと比較しようとしていたのかもしれない。かと言って、私は特別チェコに関心があるわけでもないし、チェコの歴史を詳しく知っているわけでもない。ただ、「プラハの春」と、1968年のソ連チェコ侵攻を知っていただけだ。それも、ビートルズの「BACK IN THE U.S.S.R」がチェコに侵攻したソ連の軍隊に対して歌った曲であることを知っていただけだった。
 ビートルズの最もアバンギャルドなアルバムである「WHITE ALBUM」の最初の曲がこの曲である。
 「オレはソ連に戻ってきたぜ!ウクライナの娘たちには まいっちまう。西洋なんて 遅れてるぜ。オレは ソ連に戻ってきた! どんなに幸せか お前 わかるだろ!」
 プラハに侵攻したソ連兵達に向かって、この歌が皮肉たっぷりに歌われたかどうか、私は知らない。しかし、「存在の耐えられない軽さ」の中では、プラハに侵攻したソ連兵を挑発する若い娘達の姿が描かれている。ソ連の戦車の前でプラハの娘達は、わざと挑発的なポーズをとり、キスをして見せたという。テレザという若く美しい娘は、街に出て、侵攻したソ連兵やそうした娘達の写真を撮った。
 ソ連の占領に対するプラハ市民の挑発的抵抗。共産主義と自由。
 自由とは何だろうか?そして、自由を最も強烈に意識するときとは、どんなときだろうか?ソヴィエトがプラハに侵攻したとき、テレザはプラハの街に出て写真を撮り、「自らを危険にさらしたとき、彼女は自分の人生でのもっとも素晴しい日々を生きた。これは彼女の見る夢のテレビシリーズが中断し、彼女の夜が幸福であった唯一の日々であった。」と書いてある。
 ソ連チェコ侵攻。それは、お祭り騒ぎだったとクンデラは言う。それほどまでに文明化したヨーロッパの都会人たちは退屈していたのかもしれない。自由に馴れて退屈する。危険に身をさらしたくなる。第二次大戦後生まれたベビーブーマーが若者になった頃の
1960年代後半、西洋人の若者達は、そんな気分だったのかもしれない。そして、ソ連の田舎者がヨーロッパに戦車に乗って侵攻してきたとき、彼女等彼等は”自由”を見せつけるために”SEX”をちらつかせ、遅れている彼等を挑発したのだろう。西洋では、性は解放されている。それほどまでに”自由”な社会に、共産主義という遅れたやぼな奴等が戦車で入ってきた。お笑い草だ。という気持ちだったのかもしれない。「存在の耐えられない軽さ」は、そんな時代の物語である。
 優秀な外科医であるトマーシュは、社会的地位も名誉にも恵まれていた。しかし、最初の妻と別れてから、毎日違う女と寝ることを日課とする生活が始まる。一人息子の養育費として、月に給料の3分の1を払うように法廷から言われ、2週間に1度だけ息子に会えることを保証された。しかし、彼はその権利を行使しようとは思わなかった。「いったい何であの軽率な一夜以外に彼と結びつけるもののないあの子供に対し、他の誰よりももっと多くのものを感じなければならないのであろうか?お金はきちんと払おう、だから父親の感情とかいうものの名において息子への権利を争うことを誰からも要求されたくなかったのである!」。トマーシュは、息子に一度も会うことなく、自らの欲望を満足させるために、毎日違う女をベッドに連れ込んだ。「三という数字のルールを守らなければならない。一人の女と短い期間に続けて会ってもいいが、その場合はけっして三回をこえてはだめだ。あるいはその女と長年つきあってもいいが、その場合の条件は一回会ったら少なくとも三週間は間をおかなくければならない。」と彼は友人に話していた。
 そんな彼がテレザと再婚することになったのは、単なる偶然であり、彼女と一緒に眠ることができたからである。「愛というものは愛し合うことを望むのではなく(この望みは数えきれないほどの多数の女と関係する)、一緒に眠ることを望むものである(この望みはただ一人の女と関係する)。」というわけだ。しかし、彼は、テレザと結婚した後も、勿論、他の数えきれないほどの多数の女と関係することはやめなかった。そして、いつもテレザは、トマーシュの髪に、他の女のデルタの臭いを嗅がなければならなかった。
 存在の耐えられない軽さ、それは、あまりにも満ち足りていて身勝手な自由、エゴイストの欲望の飽和状態ではないのだろうか。性の解放が叫ばれた時期があった。今は、女性の解放が叫ばれている。しかし、そのとき、家族という関係はどうなってしまうのだろうか?子供の養育は社会福祉に任されるようなものなのだろうか?トマーシュは、独身のような”自由”な生活をしている。それは、彼にとって”基本的人権”に保証された人間としての自由の追及なのかもしれない。しかし、そこになんの義務も責任も伴わないとき、まるで浮き草のような”存在の耐えられない軽さ”を覚えるのが、自然の当然の摂理なのではないだろうか?彼は、哲学も思想も理解している。外科医として優秀な頭脳も持っている。しかし、そうした知識があることと、生きることにおいて知恵があることとはまったく違うのではないだろうか。アマゾンの奥地に住む未開人は、”存在の耐えられない軽さ”を感じているだろうか?また、感じる可能性が少しでもあるだろうか?たぶん彼等には、西洋人の考えるような”自由”の概念は、そもそもないだろう。しかし彼等は、”自由な”トマーシュよりもずっと幸福を実感しているかもしれない。なぜなら人間は、高尚な「考える故に我ある」ような近代的自我であるより前に、生物として動物であり、失った本能を、大脳旧皮質に今だに持っているからだ。
 人間の欲望である”性本能”を満たすこと。毎日違う女と好きなときに寝ること。それこそ、動物的本能を満たしていると言うこともできそうだ。しかし、はたしてそうだろうか?
 ジョン・C・リリー博士は、猿の脳に600個もの電極を埋め込み、1950年代に世界で初めて快感と苦痛の中枢を突き止めた。彼は、猿を使って、勃起、射精、オルガズムの系が個別に存在することを発見した。ちなみに、1日24時間3分ごとに自分の脳を刺激することができる機械を与えられると、猿は3分毎に16時間もの間、オルガズムを得続けたという。
 人間と猿の遺伝子は99%以上同じらしい。したがって、人間がオルガズムを得たいという欲望も、動物的本能と受け止められるかもしれない。しかし、猿は閉鎖された実験室の中に閉じ込められた状態で、脳に電極を埋め込められた状態にいたのであり、自然のジャングルの中にいたのではなかった。当然ジャングルの中では、群れとしての掟があり、性的欲望を常に満足させようとはしないだろう。それと同じように、トマーシュが毎日違う女と寝ることは、外科医としての社会的経済的地位、そして、”性の自由化”が許される社会的文化的背景によって可能になっているのであり、当然、動物的欲望というよりも彼の個人的な文化的な、”高尚な趣味”の問題だと言えるだろう。しかし、そのような
”自由”がはたして人間にとって幸せなことなのだろうか?
 われわれは、社会システムという虚構を築き、本能を忘れてしまった。歴史は、すべてヨーロッパの分析的理知的左脳的知識が、先住民の”野蛮な””未開”の文化を侵略することの進化論的ベクトルを容認することによって成り立っているように思う。すなわち、インカ帝国の滅亡、アメリカ・インディアンの滅亡など、ヨーロッパ人の侵略によって、自然と共生する”知恵”が、”進んだ”西洋的”知識”によって”虐殺”されてきた歴史である。皮肉なことに、そうした社会システムが、西と東に分かれて軍事的に対峙する時代があった。西側の”自由”と東側の”共産”体制の競争の勝者は、今では誰の目にも明らかになっている。すなわち、西側の”自由”が勝利したことを、今では誰も疑うものはいない。しかし、いままで東西問題の裏に隠されていた様々な南北問題が、現在、表面化しつつある。貧しい国と富める国の格差がますます広がり、同じ国の中にあっても”勝ち組”と”負け組”の間で貧富の格差が増大している。例えば、ビル・ゲイツの個人資産が人口2億人のインドネシアGDPに匹敵するという。世界の資源と富を、ほんの一握りの人間が消費し、支配し、10億人もの人間が飢餓や栄養失調の状態にあるという。こんな状況で、はたして”自由”競争の経済が勝利したと言って浮かれていられるのだろうか?
 トマーシュは、自分の母親と寝ていることを知らなかったオイディープスが、何が問題なのかが分かったとき、自分が知らなかったためにおきた不幸を見るに耐えられずに、目を刺し、盲目となってテーバイから出ていったという神話を、チェコを占領した共産党員の罪を表わすメタファーとして対比させることを思いつき、新聞に投書した。「あなたがたが知らなかったという罪のために、この国は百年も自由を失ったかもしれないのです。あなたがたは罪がないと叫ぶのですか?どうしてそれを見ていることができるのです?見る目がないのですか?もし目を持っているなら、針を刺して、テーバイから出ていくべきです!」
 この投書がもとで、トマーシュは、外科医の職を追われ、最後には銃殺されてしまう。
 著者ミラン・クンデラは、ソ連チェコ占領後の「正常化」の時代、「プラハの春」を支援した文化人として数々の圧迫を受けて国籍を剥奪され、フランスに亡命した。彼は、いわば西側の民主主義と自由を代表する文化人のひとりなのだろう。1981年、フランスで市民権を得て、現在はパリで活躍しているという。しかし、東西対立が終わった今、西側の”自由”の意味が現在真剣に問われなければならないことを、当然彼も自覚しているにちがいない。
 物語の後半、トマーシュは都市から離れ、田舎に引き篭って、トラック運転手になる。都市では毎日違う女を見つけることができたが、田舎ではそうはいかない。トマーシュが性のアバンチュールをできなくなることは、テレザにとって、やっと彼の髪に他の女のデルタの臭いを嗅がなくてすむ幸福な生活を手に入れることでもあった。しかし、そこで、テレザが誰よりも大切にしていた犬のカレーニンが癌になり、元外科医のトマーシュが安楽死させる場面がある。そこで、クンデラは、デカルトニーチェのエピソードを引用して、人間の動物に対する共感について論じている。
 「デカルトは決定的な一歩を進めて、人間を「自然の支配者で所有者」とした。そして
この一歩とまさに彼が動物に心があることをけっして認めないという事実の間には何らかの深い関係がある。人間は所有者で主人であり、一方、動物は、単なるオートマン、すなわち、"machina animata"(動物機械)であると、デカルトはいう。たとえ動物が嘆きの声をあげようとも、それは声ではなく、うまく作動していない機械のメカのきしみである。-略- 動物の鳴き声もそれと同じように理解しなければならず、犬を実験室で生きたまま切るときも、犬のことを悲しんではならない。」
 一方。
 「ニーチェがトゥリンにあるホテルから外出する。向かいに馬と、馬を鞭打っている馭者を見る。ニーチェは馬に近寄ると、馭者の見ているところで馬の首を抱き、涙を流す。
 それは1889年のことで、ニーチェはもう人から遠ざかっていた。別のことばでいえば、それはちょうど彼の心の病がおこったときだった。しかし、それだからこそ、彼の態度はとても広い意味を持っているように、私には思える。ニーチェデカルトを許してもらうために馬のところに来た。彼の狂気(すなわち人類との決別)は馬に涙を流す瞬間から始まっている。」
 デカルト以来、近代化された西洋人にとって、動物に共感することすらも”狂気”になってしまったのだろう。逆に言えば、そうした文明化された西洋人の、知性を過信した人間の奢りと狂気が、未開の野蛮人を動物のように虐殺させることを可能とし、資源獲得のためには”正義”を侵略の口実として演説することに何も疑問を感じない西側先進諸国の現在のメンタリティーを生み出すことにも、結果的につながっているのだろう。”自由”を盲信して自分が何をしているのか分からない侵略者がいるのなら、「もし目を持っているなら、針を刺して、テーバイから出ていくべきです!」という言葉は、いったい今、誰に向けられているのだろうか?