『裸の季節』を書き上げた

紫源二の自伝的思想小説『裸の季節』を書き上げた。
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あの頃、自分が今のようになっているとは、まったく想像もしていなかった。
小説の舞台は、杉並区清水2丁目の前衛舞踏家の家=古い長屋である。
すぐ近くに“清水の森公園”という、大木が茂っているだけの公園があった。
今でもそこに同じ公園があるが、すっかり整備されている。
また、僕が居候していた古い長屋は解体されて、今では資材置き場になっている。
当時は、近くにNTTがあり、清沓仲通出張所があった。
今では、それらは二つとも営業していない。
とても閑静で、昼でも誰もいないような、大木と畑に囲まれた一角だった。
僕はそこで、犬のように居候していた。
居候させてくれたのは暗黒舞踏家で、兄貴のような優しい人だった。
とてもよく僕の面倒を見てくれた。
ボロボロの自家用車が空き地に止められていて、彼は運転まで僕に教えてくれた。
唐十郎の芝居にも連れて行ってくれた。
彼は唐の劇団員の先輩でもあったので、芝居が始まる前に彼らと話しをしていた。
両国の酒屋で日本酒の冷やを2、3杯あおり、芝居を見に行ったのを覚えている。
当然、僕は一文無しだったので、彼の奢りだった。
今思うと恐縮する。
山から下りてきて以来、眼鏡を掛けていなかった僕に、芝居の最中、眼鏡まで貸してくれた。
そのため、はっきりと唐の芝居を見ることができた。
高橋さん、ありがとう。
彼は、今、吉祥寺で、ジョン・C・リリーのアイソレーション・タンクを再現して、ワークショップを開いている。
(ちなみに、「トータルリコール」という名前の治療院だ。)
ずっとご無沙汰していて、コンタクトをとっていないが、当時を思い出す度に心の中で感謝している。

僕は、いろいろな人に助けられた。
明日をも知れないわが身。
そんな僕をいろいろな人が拾ってくれて、居候させてくれた。
皆さん、ありがとう。
当時は本当に楽しかった。
コンピュータ・ネットワークも無い時代。
いろいろな人と人とのネットワークが蜘蛛の巣のように繋がって、
僕はその糸を渡り歩きながら、目立たず、出しゃばらず、飯を食っていた。
少なからず、僕自身も、いろいろな出来事の“触媒”になっていたのかもしれない。
楽しい時代だったと思う。