今朝の田原総一朗のサンデープロジェクトに物申す

今朝、田原総一朗サンデープロジェクトを見ていた。
見ているというより、ベッドの中で目をつぶって聴いていた。
イラク問題について話し合われていた。
石破茂防衛庁長官が出演していた。
 
はじめ、日本の自衛隊をいつ撤退させるべきかについて、議論がおこなわれていた。
石破茂防衛庁長官曰く、現在は以前に比べて“緊急性”が少なくなっているので、水の補給、道路や施設の復興は地元の人々に引継ぎ、“緊急性”を要する自衛隊は撤退させる方向が望ましい。
しかし、アメリカのみならず、イラクに軍隊を派遣している諸国の動静も見極め、日本だけが自衛隊を撤退させることは、今後のイラク復興支援の観点からも考慮する必要がある。
同時に、日本企業などが復興活動に関われるように(つまり、アメリカの企業のみが復興支援を独占し、世界中から集められたイラクへの援助金を全て懐にいれることがないように・・・という意味だと私は解釈した・・・)今後アメリカとも話し合っていくことが必要である。
という趣旨の発言をされた。
 
そこまでは私も同感であった。
しかし、田原が、そのあと、石破元防衛庁長官の著書を紹介する段になって、私は眠気まなこを見開かざるを得なくなってしまった。
その著書には、次のようなことが書かれているという。
 
1:アメリカの“自衛としての先制攻撃”を支持する。
(つまり、イラク大量破壊兵器を有しているから、それが使用される前に軍事侵攻しても“自衛戦争”として許されるという論理)
2:ラムズフェルド国防長官と同じ見解を持っているということ。
(ここで、石破元防衛庁長官ラムズフェルド国防長官がどのような話し合いをし、同じ見解を持っていることを確認したのかは不明である。しかし、ラムズフェルドは勿論、大量破壊兵器の拡散防止のための“自衛戦争”という論理を主張していたことは間違いない。)
 
しかし、石破元防衛庁長官は同じTVの中で、ついさっき次のように発言したばかりだった。
すなわち、アメリカはイラク戦争で学習しているはずである。よって、今後、国連をもっと重視し、それを利用するように日本が働きかければ、それに耳を傾けるだろうという趣旨の発言である。
 
現時点で、イラク大量破壊兵器がなかったことが既に判明している。パウエル国務長官が公式にそのことを認めたのだから、誰も否定できないだろう。
だとすると、アメリカは、今回のイラク戦争を“自衛のための戦争”だとして軍事侵攻したことを誤りだったと公式に認めたのだろうか? また、今後認めるつもりなのだろうか?
否、私には到底アメリカが自らの誤りを認めるとは思えない。したがって、到底アメリカが“学習した”とは思えないのだ。
その証拠に、今度はイラク戦争を“自由と民主主義のための戦争”だったことにして、正当化しようとしているからだ。
しかし、“自由と民主主義”を、戦車や爆弾で他国の女子供を殺してまで、押し付ける“正義”が果たして本当の“正義”と言えるのだろうか?
ここに、恐ろしくえげつない“偽善”が潜んでいることを誰でもが知っている。
つまり、“自由と民主主義”ですら、単なる“口実”として使われているに過ぎないということだ。
 
ところで、話を元に戻そう。
石破元防衛庁長官ラムズフェルド国防長官が、またブッシュが、“自衛のための戦争”を支持すると言っても、それは“個人の見解”に過ぎないということだ。
国際法上、“自衛のための先制攻撃”は、認められていない。
それは、国連の見解でもある。
だから、イラク戦争を国連は認めず、国連を無視して、アメリカは単独でイラク侵攻に踏み切ったのだ。
(そして、それに組しない国は「テロリスト国家と見做す」という脅し文句にビビッて、尻尾を巻いて世界最強国のアメリカに追従したのが、ほかならぬ我が国日本だった。)
 
「世界人権宣言」の精神を引き継ぎ、国際紛争を戦争に拠らずに解決しようという歴史上の反省と市民の平和の希求に基づいて、「国連憲章」が成立していることは、石破元防衛庁長官も認めるところだろう。
(たとえ彼が、自衛戦争に異を唱える者に対して「平和を叫んでいるだけの非現実的な“平和主義者”、“理想論者”」だといくら著書の中で耶癒しようと、世界中の一般市民の大多数は、戦争でなく平和を希求していることは明らかである。
それを“非現実”とか“理想論”として安易に戦争による解決をとるなら、いったい政治家のやっていることは何なのか?!
彼らの言う“現実”とは一体何なのか?
私は襟首をつかんで問い正したい。
田原が、前日の朝まで生テレビで、「国のために死ねるか?!」と興奮した口調で社民党の委員長に問い正していたが、彼女に限らず誰もそれを否定できないのは何故か?
私だったら「“国のため”には死ねない」とはっきり答えるだろう。・・・)
 
「世界人権宣言」の第十三条の2で次のように謳われている
2 すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する。
 
つまり、第十二条で謳われている
「何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。」
という“自由の権利”を国家によって侵害されるような事態になったときには、その国を立ち去る自由が「世界人権宣言」の中で保障されているのである。
 
もし、偽善としての“自由”の名のもとに、多国籍企業の利益のために、“現実的”な“自衛的先制攻撃”に加担し、他国の罪も無い女子供を虐殺するように“国家”から強制されたとしたら、そのために“死ぬ”ことを美徳だなんて思うはずもなく、逆に、そうした国の指導者を糾弾するのが本当の“正義”だろう。
 
というわけで、話がまたそれてしまったが、
国連では、“自衛的先制攻撃”は認められていない。
それなのに、その国連の常任理事国入りを希望し、またイラク戦争でも今後の復興支援のために国連をもっと活用すべきだと考えている日本の元防衛庁長官が、“自衛のための先制攻撃”を“現実的”だと言ってアメリカを支持するというのは、論理矛盾もはなはだしいのではないか。そして、そのような矛盾した思想で、イラク問題を解決できると信じているなら、彼こそ“非現実的”“妄想者”なのではないか?
 
さて、“自衛のための先制攻撃”は国際法上認められていないというとき、必ずそれに反対する者がいる。
国連憲章の51条に次のような一文があるからである。
 
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合、・・・必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。
 
つまり、“必要な措置をとるまでの間”個別的又は集団的自衛権は認められるという。
したがって、大量破壊兵器の拡散という脅威に対して「予防戦争は正当たりうる」とする“国際法学者”が存在するのも事実である。
その中の一人、R・ショルツ教授は「予防戦争は正当たりうる」という論考で
「核・生物化学兵器などの大量破壊兵器がテロリストによって使用される危険に対して、戦時国際法の古典的な手段、特に抑止的な自衛や武力行使の原則では十分ではない」
「個別的・集団的自衛権は性質上、正当な予防的自衛措置の枠内にある。国連もNATOも、このことを早急に受け入れなければならない」と主張している。
 
それに対し、日本の国際法学者水島朝穂教授は、国連憲章51条では、実際に「武力攻撃が発生した場合」に限り「必要な措置をとるまでの間」のみ自衛の権利を害するものではないとされているのであって、R・ショルツ教授の主張は「論理的にもかなり無理があり、とうてい支持できない」と表明されている。
また実際に、この「人動的予防戦争」=「イラク戦争」という論理は、大量破壊兵器に関する限り、根拠がなかったことが既に判明している。
 
そのためか、今更ながら、ブッシュ政権によって強調され始めたのが、第二の「人動的予防戦争」の理由としての“自由と民主主義の人道的侵害”という論理なのだ。
 
しかし、アフガニスタンでは、バンカーバスターなどによって500〜600トンもの劣化ウランが使用され、ウラニウム汚染は広島型原爆の8170回分に相当するという。
また、半減期が45億年というこのウラン238によって、未来永劫ともいえる期間に渡り環境が破壊され、イラクでは21万人以上死に、200万人が身体障害者になっているという。
またアメリカの退役軍人251人のうちの67%の新生児が先天異常を起こしていたという元94、95年のペンタゴン劣化ウランプロジェクトの責任者ダグロッキー氏の証言などを、私は『イラク国際民衆法廷』を傍聴した際に知ることができた。
また、アフガニスタンイラクでは、奇形児や子供の悪性腫瘍が猛烈な勢いで増加しているという事実は、人道に対する最たる罪ではないのか?
 
これらの事実を、それらを先進国のマスコミが誰も報道しないから(報道管制を敷いて)といってあたかも存在しない、またはしなかったことのように装い、イラク戦争を「人道的自由と民主主義の戦争」だとして正当化できるのは、“現実”を見ない、また見えない愚かな群集だけに有効な稚拙なプロパガンダである。
当然、この戦争で行われた、また行われている数々の一般市民への虐殺行為そのものが、非人道的であり、世界人権宣言に謳われた人権を侵害していることは、当事者であるアメリカが、アメリカ政府が、一番よくご存知のはずである。
 
また、世界人権宣言の第五条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。
という“人権”に対する蹂躙も行われた。そして、そのことをアメリカ政府も認めた。
 
はたして、これでも「イラク戦争は人道的予防戦争だ」という謳い文句を未だに信じ込んで、戦争を正当化し、指示する一般市民人がいるのだろうか?
 
しかし、TVでは、あいもかわらず、この戦争に参加するしないの議論が、“自由”だの“民主主義”だの“国”だの“自衛”だの“現実”だのの言葉を使って旧態依然として議論されていた。
 
あなたたちの言う“リアル”とはなんのことなのでしょう?
あなたたちの言う“リアル”とは“地獄”のことですか?
劣化ウラン弾で、なんの罪も無い子が先天性奇形児として日々生まれ、頭のふくらんだ子、目の無い子、手足のない子が泣き叫ぶ現実を、国際戦略の観点から一切無視して、軍事攻撃すなわち非人道的殺人を肯定することが、“リアル”なのでしょうか?
 
田原さん! 今度は、あなたについて書きますよ。
現在の日本の言論界を仕切っているあなたは、すでに何か大切なことを見失っているようで、私はとても危惧しているのです・・・日本のマスコミの論調を左右しかねない視聴率の番組を持ち、公共のTVという電波を使っているあなたは、それを無批判に見ている一般市民の大多数に、無意識にサブリミナル効果を与えていることをもっと意識すべきだと思うので・・・