今日は仕事した

 今日は仕事をたくさんした。だから、気分が悪い。気持ちが悪い。肉体的、精神的に。
 ところで、僕のホームページのアクセスカウンターは23件。さみしい気もする。URLは、http://www.geocities.jp/hoshius/index.html ここから、いろんなブログに繋がっている。ホームページを作るひまが無いから。
 9月21日に、Yさんがなくなった。100まで生きると言ってたのに。84才でなくなった。そのことをぜんぜん書いていなかった。
 その3,4日前、僕は彼女の家に夜、行った。
 Yさんの家はとても大きなお屋敷で、彼女一人で暮らしていた。
 大正時代の2階建ての立派な建物。天上は高く、太くて高い柱と漆喰の家。
 彼女は、たった一人で、大きな屋敷に住んでいた。なにもしないで。
 ほとんど寝たきりだった。体がリュウマチで動かなかったのだ。
 彼女は、「私は無だ」と言っていた。
 本当に「無」だった。
 僕は、彼女から合鍵を渡されていて、「いつでも、気が向いたら、いらっしゃい」と言われていた。
 その日は、もう、夜中になっていたが、僕は彼女の家の門をくぐった。
 広い庭は、もう、真っ暗で、でも、Yさんの部屋だけは、明かりがついていた。
 玄関で呼んでも聞こえないのは分かっていたから、真っ暗い庭を歩いて、Yさんの部屋のガラス戸から中をのぞいた。
 誰もいなかった。
 そこで、大声で呼ぶのも、夜中なので気が引けた。
 暗がりの中、裏に回り、台所の小窓をのぞいた。
 すると台所のテーブルの前で、一人で黙って座っているYさんが見えた。
「こんばんわ。こんばんわ」
 躊躇しながら何回も呼ぶと、
「あ、ほしさん?」
「ちょっとまっててね。むこうから入って」
と言われた。
 僕は、暗がりの庭の落ち葉を踏みながら、よろけながら、Yさんの部屋のガラス戸のところまで急ぎ、ガラガラと開けて中に入った。

 彼女は、家の中のものは、全部、ほんとうに全部、処分してしまっていた。
 大きな屋敷には、彼女一人生きているだけ。本当に「無の家」だった。「無所得」「無所有」。「無の人」だった。
 中に入ると、僕は、座った。
 ほとんど目を合わせなかった。なぜなら、彼女の目がすごくて、力があって。
 朝と夕方来るヘルパーさんに、彫刻家の人がいて、その人が作ったというブロンズの作品を見せてもらった。
 その人が、本棚にあった美術全集を見つけたので、持って行ってもらったと話していた。
「よかったと思って。重たいから、毎日1冊とか持っていかれるのよ。たくさんあるでしょ。みんな初版なんだって。」
 僕は、本棚のある玄関脇の部屋に行ってみると、確かに大型の美術本、歴史の本、書道の本がまだたくさん残っていた。
「全部、持って行って、と言ったのよ。」
 僕はそのとき、この家には本当に何もない。彼女は本当に無の人なのだと思った。
 そして、なにか物悲しいものを感じた。
「これが、その方が作った作品の写真」
 そう言って、僕に見せてくれた。
 写真を手渡されたとき、僕は感じた。彼女の純情な高潔さ、無私で無垢な潔さ。
「わたしは、これが一番いいって言ってやったのよ」
 大きな手をした、うつむいた裸婦の彫刻がそこには映っていた。
「ありがとうございます」
 そう言って、立ち上がり、写真をYさんに手渡したとき、
 僕は彼女の目を見た。
 それが最後だった。
 Yさんの目は、今でも忘れない。きっといつまでも忘れない。
 彼女の手にふれればよかったと、あとから思った。
 彼女は、まだ、僕と話をしたいみたいだった。名残惜しいような
 そのまま、ガラス戸を開け、僕は外に出た。
 それから、3,4日して、Yさんは、なくなった。
 急だった。脳出血だった。

 それよりも前に会ったとき、ふたりで、スウェーデンボルグの話をした。
 彼は、何日も死んだようになって、霊界を訪れていた。
 死んだように眠ったままだった。
 Yさんも、死んでないのではないか。この前話したように、スウェーデンボルグのように霊体が肉体から抜け出しているだけではないのか?
 僕は、彼女が死んだことを信じられなかった。
 だから、火葬場まで行った。
 彼女が焼かれるのを見た。
 お骨を拾って、はじめて、彼女が本当に「無」になったのだと、納得した。

 Yさんは、生前、こんな話をしていた。
 僕が、「動物も生まれ変わるんでしょうか?」とたずねたとき、
 彼女は、「動物は、死を悲しまない。人間だけが死を悲しむ。でも、死んだらそれで無になってしまったとは、誰も思わない。時間が経つにつれ、生前よりも、親しかった人が身近にいることを感じるものだ」と。
 僕は、今、Yさんのその言葉をいつも想い出している。
 Yさんがなくなったと知ったとき、僕は泣いた。
 泣いて、泣いて、目が痛くなるくらい、涙が出て止まらなかった。

 彼女は、本当に無になった。そして、自由になった。今は、何でもできるに違いない。