食うことと、ものの哀れ (まず卵を立てることから)

昔、山海塾暗黒舞踏に「まず卵を立てることから」という題名の公演があった。が、今日の私は、「まず認知の母のリハパンを取り替えることから」始まった。
そして尿を漏らした衣類などを洗濯機に入れたりあれやこれややって、母を近くの喫茶店に連れて行く。ランチのセット。ハムチーズ・トーストとコンソメスープとブレンド・コーヒーのセット。720円。同じくコンビーフ・トーストのセット720円を注文。下の入れ歯を亡くしたバーさんがトーストを頬張るのをじっと見ていた。それにしてもよく食う。
母を家に送り帰してから、今度は一人で洗剤の買い物に薬局へ走る。ヘルパーさんにもう無いから買っておいてください。と、たのまれたもの。バーさんの尿でまみれた下着やシーツを洗う洗剤。僕が好きなミランダ・カーがテレビで宣伝してるのを買った。(ミランダ・カーもバーさんになるのだろか?)
実家に戻るとバーさんはコタツで寝むっていた。ミランダ・カーの洗剤を所定の位置に置いて、離れの家に行って風呂を沸かして入った。
今度は自分の家に帰るのだが、その前に、かみさんから頼まれた買い物をするために自転車をこぐ。ティシュとトイレットペーパーだけで自転車のカゴは一杯だが、それだけではない。指定されたいろいろなものを買ってスーパーのレジに並び、支払いを済ませ、自転車に乗せて家に帰る。
かみさんは、もうオシャレして支度ができている。僕は、着の身着のまま作業ズボンとデニムのシャツの上に木綿のセーター、娘もラフな服装で、家族三人で地下鉄に乗り、青山二丁目のキハチにイタリアンを食べに行く。
娘とかみさんが豚のステーキを食べるのを、僕は見ている。
84才の認知老人、17才の娘(僕がインドに行った年齢だ!)、?才のシャネルを着たかみさん。みんな美味しい美味しいと言って食べている。僕はただじっと見ている。僕はそれらの光景の様々なギャップを見て感じるにつけ、なんだか少し、ものの哀れ、を感じて、少し虚しくなった。そんな一日。
デザートは、卵の殻に入ったプリンだった。(卵は専門の容器の中で立っていた。)