御冥福をお祈りします

 
今日の夕飯はあさりの味噌汁をつくった。
米を研ぎ、ご飯を焚いた。冷ややっこは作るのが簡単。豆腐を包丁で切って鰹節を掛けるだけ。
肉野菜炒めには、鶏の胸肉、ベーコン、玉ねぎ少々、ニンジンたくさん、ほうれん草たくさん、なす3つを輪切りにして入れて、塩、コショウ、醤油、牡蠣油で味をつけた。けっこう美味しかった。ほうれん草の出汁が出て。
それから、魚屋で買って来た鉄火巻きを食べた。その他にも、仕事帰りに冷やし中華を食べた。夜食にコーンフレークを食べた。
咳が出て苦しくて、一週間くらい食欲がなくて、お腹が引っ込んでいたが、もうすでに出てきた。食べるとすぐに腹が出てくる。まったく醜い。
まだ咳が治った訳ではないが、ジスロマックという3日飲めばいいという抗生物質を飲んだら一応激しい咳は止まった。
ジムにでも行って筋トレでもしたいのだが、無理をするとまた咽をやられるので控えている。
そのストレスのためか、いろいろと沢山食べて時間を潰している。潰すと言うか、食べていると、バカみたいに何も考えなくなるので、いい。
職場の現役の先輩が亡くなった。入院して3ヶ月もしないのに、急だった。同じ係では、そのことでてんてこ舞いで、いろいろな人が、そういうときに見せるさまざまな人間模様と、人それぞれの個性を、僕は観察していた。僕だって、その中の一人には違いないのだが。
亡くなった方は、いつも全力で仕事をする人だった。そうとう無理をしていたのかもしれない。
人にはいろいろな考え方があって、ある人は、同じ給料しかもらえないなら、そんなに全力でやらなくても、そこそこにやって、長生きした方がいいと言う人もいるだろう。でも、僕は、どうせ人間は死ぬんだから、何事にも全力を出しきって、出世だの給料のことなんて考えずに、全力で正直に仕事をして死ぬのなら、それの方がいいと思っている。
世間なんて、上手く渡ろうとしている器用な人間が出世するように出来ているみたいだが、それで出世してこの世に迎合して中途半端に生きて何になる? そんな人生にどんな価値がある? たとえ誰にも省みられない便所掃除の仕事だって、全力できれいにする。それが自分のためでもあり、生きているって、そういうことだと思う。誰も見ていないから、どうせ給料なんて安いんだから、なんて思って手抜きしている人だって大勢いるだろう。でも、そういう人は、見れば分かる。分かる人には分かってしまう。結局、自分をだましているのだというオーラが漂っている。逆に、いくら高額所得者でも、人を利用して富を蓄積した人を成功者とは呼べないだろう。そういうエセ成功者も、陳腐なオーラが漂っているから、見ればすぐにわかってしまう。自分で手を汚さずに、人を利用して成功する。そんな人生を長く生きたって、なんの価値もないように思うのだが、まあ、人の勝手か?
必ず人は死ぬ。そして、死は嘘をつかない。
 
僕は、つい最近まで、本当に死にとり憑かれていた。でもありがたいことに、最近になってようやく、生の方に近付くことができるようになってきた。
 
死が常に裏側にあるからこそ、生きている間は生を思いっきり生きたい。
 
この身体とハートと知性をフルに使って。