デジャブのような熱望

 
たった1時間だったことが忘れられないことがある。 
たったの1週間だったことが
たったの1カ月だったことが
たったの1年
たったの1日だったことが
その後のぼくの全てだったことがある。
 
でもそれがどんな出来事だったかなんて書こうとしているのではなくて
そうした忘れ得ぬマジカルな時間を
いつでも作れるようにするにはどうすればいいのか
その具体的方法を書いた方が読者の役に立つっていうもんだ。
 
つまり、その時はそれほど楽しくもないことだったりする。
それなのに、それまで一度も見たこともない聞いたこともない環境の中にいる。
それでいて、くつろいで、リラックスしている。
そして、これが一番大切なことだが、”集中”している。
この集中がますます集中の度合いを深めるほど、無意識まで意識できるようになる。
この無意識は不思議なもので、時間が真っ直ぐ一直線に不可逆的には進んでいない。
過去も未来も全ての記憶がある。
デジャヴ。
実際に夢で見たことがあるし、逆に今、自らの意識は深い夢見の状態なのだ。
 
1カ月も、深い夢見の状態が続いたなんて、普通ではあり得ないこと。
今ではもう別の世俗的意識に戻って来たけど、あの状態を忘れたわけではない。
いろいろな処で同じ波動に接することがある。
波動というか、座標。
深い深い座標があって、普通はその座標まで意識が及ばない。
そこで意識される波動は精妙で、普通の意識では感知できない。
 
その中にいると、まず、まとも社会生活は送れない。
そして、なんらかの世俗との摩擦を体験しなければならなくなる。
 
ぼくが瞑想で試みていることは、その座標に再びワープし
あの精妙でクリエーティブな波動を感じること。
 
それはドラッグのように意識を陶酔させ
そして、同時に醒めている。
 
可能性がすぐ近くにある。
全て予見できるとてつもなく新しい冒険がすぐ近くにある。
 
それを体験してみたくないか?
 
もしそれを体験してみたいなら、まずその状態を一瞥しなければならない。
 
そして、繰り返し繰り返し思い出す。
 
思い出すことは、過去に属するのではなく現在と未来に属することなのだ。
 
特に未来に。
 
そして、起こることを選択するのだ。
 
それがもし起こらなくても、それが起きることを熱望することがひとつの新しい冒険なのだ。
 
そして、冒険はいつでも、とっても危険なものなのだ。
 
危険だからこそ熱望するのだ。