醜い街

 
 
最近かなり情緒不安定。
 
自分で自分をもてあましている。
 
この身体、この思考、この感情。
 
どうにかならないものか。
 
まず、言葉を忘れたい。
 
次に、感情を失くしたい。
 
そして、本能を失くしたい。
 
それじゃあ、生きられないって?
 
そう。そのとおり。
 
ただ、感覚だけがあったらどうなるだろう?
 
見える、聞こえる、匂う、感じる。
 
でもなにも思い浮かばない、なにも湧き上がらない、なにもしたくない。
 
 
こころのうちがわにわだかまっているのだ。
 
自由なんて言葉は死語だけど、
 
僕は自分で自分の生き方を選択していない。
 
そう。
 
朝起きて、すでにやることは決まっている。
 
最初に顔を洗った瞬間から、
 
ドミノ倒しのように、やることが次から次へと連鎖反応的に追いかけてくる。
 
私はただ、それをこなしていくだけだ。
 
昼飯を食うメニューも決まっている。
 
いつもの汚い中華屋だ。
 
牛丼屋は混んでいるし、店員が少なくて慌ただしいし、
 
マックは、身体に悪い。
 
サンドイッチ屋は椅子が狭いし、
 
他の中華屋は値段が高いし、席が空いていない。
 
消去法で、それも、かなり選択肢の狭い消去法で、
 
汚いラーメン屋にいつも行くことになる。
 
それから、少し、20分ほど自由な時間、
 
ビルのテナントショップの脇にある椅子に座って2,3分、気を失う。
 
コンビニでミネラル・ウォーターを買って事務所に戻る。
 
後は、また、電話がジャンジャン鳴って、
 
仕事に追われる。
 
帰途に着く頃は、疲れたサラリーマン達が道を塞いでいる。
 
夕食の買い物客、飲みに行く人、夕食を食べに行く人、帰宅する人がぶつかり合う。
 
なんて狭い街に私は住んでいることか。
 
なんてつまらない街に私は住んでいることか。
 
この街には楽しみがない。
 
歓楽街はあるかもしれない。
 
でもその歓楽って、なんて猥雑で陳腐なものか。
 
ただ、疲れるだけ、
 
だから、ぼくは、
 
ただ、空を見上げるだけ。
 
空の景色は美しい。
 
ここには、それしか自然はない。
 
きたない、薄汚れたアスファルトの道。
 
汗臭い電車の車両。
 
騒音。
 
死を恐れて、自己憐憫に浸っているエゴイストども。
 
自分ではなにも出来ずに、
 
政府、国、社会、他人に責任をなすりつける群衆。
 
汚い歩道わきの、唾を吐きかけられた壁際に咲いている白粉花
 
散歩させてる犬に小便を掛けれ、
 
排気ガスを吹きかけれれて、
 
踏みにじられて。
 
ぼくの目には、美しいものがなにも見えないこの街。
 
醜いものしか見えてこないこの街。
 
ここに生きるには、全ての感覚を失うしかない。