デジタルと死のコラボレーション
片山恭一の『空のレンズ』を読んだ。
かなり面白かった。
いや、最高に面白かったと言った方が正直かもしれない。
途中に秘教や神秘主義の用語がチラチラでてきて、それらが大好きな僕としては、これはタダものではないなと思って読んでいたが、やはり、タダものではなかった。
これで、この著者は、大衆受けをねらった単なるベストセラー作家ではないことが判明した。
ミクシのコミュを捜すと2つあったが、両方とも参加者が数十人しかいない。
あのハルキさんは、一体何人いるんだろう。知りもしないが・・・
セカチューは300万部の大ベストセラーだったというから、参加者もさぞ多いだろうと思ったら2ケタ台。
いったいこれはどういうことだろうか?
つまり、ハルキは「難しいけど面白い」という読者が多いようだが、この”難しい”のレベルがかなり低いのに対して、片山恭一の方は、かなりクオリティーが高い部類の”難しい”小説なのかもしれない。(平易な表現で難しいテーマを美しく描いている。)
つまり、ハルキは一見”哲学的”に匂うが、それはコピーライター的”コマーシャリズム哲学”なのに対して、片山恭一の哲学は本格的な哲学だ。
もしかしたら、片山恭一は最高に新しいのかもしれない。だれも描かなかった”死”が描かれている。
僕のような無名でなんの影響力もない者がこんなことを書いても、片山恭一の本が1冊でも余分に売れるわけでもないだろうし、片山恭一がこれを読んで感謝状をくれるわけでもない。また逆に、春樹がこれを読んで殴りに来る訳もないから(殴りに来たら殴り返すだけだが・・)、ここにハッキリ書いておこう。
つまり、春樹はアンテナを張ることに関しては超一流だから・・・。
もし、次回作を書くだけのエネルギーがあるのだとしたらの話だが・・・1Q84の次はきっと”死”をテーマにした小説を書くだろう。それは片山によって既に書かれているのだが、誰もそれに注目していない。”デジタル”と”死”のコラボレーション。こんなに新しいテーマがあるだろうか。それなのに、ミクシのコミュの参加者が2ケタしかいない。
だんだん時代はそっちの方に向かって行っている。
デジタルと死のコラボレーション。