世界恐慌?

 
 
 
世の中、おかしなことがシンクロして起こり始めたようだ。
 
地球温暖化の危機も、金融クラッシュの不安を前にしては、色褪せてしまった感がある。
ヨーロッパにも飛び火して、世界恐慌再来か、と騒がれている中、
日本では、いつ衆議院が解散になるか、毎日のようにその時期が取りざたされている。
その他にも、北朝鮮金正日の重病説がささやかれ、これから誰が政権の座に就こうと、たいへんな舵取りをしなければならないのは確かだろう。
 
いったい世界は、いい方向に向かっているのだろうか?
 
これだけ科学技術が進歩し、コミュニケーションも容易になってきているのに、
人類は、自分自身をコントロールして、世界中の叡智を結集させて幸福の方向に持っていくことができないでいる。
 
結局、知恵を働かせているのは、エゴイスティックな自分の利益に絡むことだけであり、利害が衝突すると、いまだに力で解決しようとしているだけなのだ。
結局、自分の幸福以外、人間は行動できない動物なのだ。
いや、人間に限らず、生命はすべて”利己的遺伝子”に突き動かされている。
だから、”人類普遍の叡智”と謳っても、それは”生存本能”には及ばず、他人を説得できるだけの”言葉”にもならない。
だから、政治家の言葉も、騒げば騒ぐだけ”空虚”に聞こえてくる。
何十年来論争し続け、人間社会は、これっぽっちもよくなっていない。
”利害”に振り回され、”力”で対決し合っているだけだ。
”慈善事業”も”崇高な宗教”も、弱者同士、マイノリティーのガス抜きでしかない。
かといって、マイノリティーに革命を起こせというのではない。
今はただ静観し、金融がクラッシュしようと、政治経済が転覆しようと、それが何を意味するのかを考えたい。
いや、考えるというよりも”瞑想”したい。
いったいこれから、”智慧”は出てくるのか?
人類の”崇高な叡智”は発揮されるのか?
危機の時代こそ、それを見極めなければならない。
智慧”とは何か。
それは、いつどこでどのように発揮されているのか。
それを、よく目をこらして”発見”していきたい。