最近の日本

 もしかしたら、ぼくは日本が嫌いなのかもしれない。
 もしかしたら、他の国に住みたいのかもしれない。
 こんな国から脱出したいのかもしれない。
 その理由の第一は、たぶん政治だ。
 もちろん、世界中どこを捜しても、理想の政治が行われているユートピアなどどこにもないかもしれない。
 でも、ぼくがこの国の政治家が好きになれない理由は、
 つまり、第二次大戦で負けたにもかかわらず、アメリカの統治下で、資本家が温存され、右翼がこの国の政治(政治家)を動かすようになったこと。また、それ以前、明治維新そのものが、はったりクーデターのインチキ尊王政権だったこと。そうした、曖昧な歴史、政治家の系譜そのものが嫌いだからだ。
 そして、当時(戦後政治家)の二世、三世が世襲して、地元の有力者と結びついているこの国の形そのものに耐えられなくなってきているからだ。
 歴史は動いている。
 時代は進んでいる。
 しかし、永田町は、そして、地元の”民主”政治組織は、未だに近代化すらしていない。明治のシステムから一歩も進歩していないのだから。日本の社会制度は現代的になることもなく、近代化すらされていない。
 欧米追従という明治期のコンプレックスが、現代ではアメリカ追従一辺倒にシフトして、グローバライゼーションに突き進んでいる。しかし、そこに思想的主体はなく、ただ、追従するのみのグローバライゼーションだから、当然、グローバル競争にも必然的に負けることになる。なぜなら、そこに戦略も戦術もないからだ。
 中国の台頭による世界経済秩序の変化の中で、日本はいずれ負け組みとなるだろう。
 日本は、『食糧の安全保障』という基本的な戦略さえできていないからだ。そんな国家が、いくら工業製品でグローバル競争を勝ち抜いたとしても、政治的には何の発言権もないエコノミック先進国に留まるしかない。
 いったい、今の政治家で、『食料の安全保障』を訴えている人が何人いるだろうか? 皆無である。
 いずれ、工業製品の国際競争力よりも、エネルギーと食料の自給率によって、国力が測られる時代が来るだろう。(それも数年のうちに)。つまり、ドルのエネルギー&食料リンクである。そうなると、円は暴落するだろう。
 政治家はそのことに気付いて欲しい。
 政治家に求められるのは先見性だ。
 政治家には、すくなくともそのくらいのことは透視できるようになったもらいたい。
 でも、日本の政治家にそのような人がまったく見当たらないから、
 ぼくは、この国が嫌になるのだ。