ずいぶん書いてなかったから

久しぶりに、日記でも書こうか。
意味のないことを
だいたい、ぼくはいろいろなところにブログを書いているから、
そして、そろそろ何も書く事なくなってきたから、
だんだん、カテゴリーがメチャクチャになって
くだらないことばかりをだらだらと書き連ねるしかなくなる。

村上春樹を呼んでいる。
海辺のカフカ
カフカ・ファンのぼくととしては、読まなければならないと思って読んだ。
下巻はまだ買っていない。

なるほど・・と思った。

野方が出ている。
カフカの住まいだったところだし、ネコと話しのできるおじさんの住まいでもある。
ぼくも野方に住んでいた。
たしかに、そこには、世界を変化させる何かかがあった。
(空からイワシはふらなかったけどね・・)

たしか、あのころはオウムが出て来たころだ。
ぼくは、某、精神世界出版社にいて、取次店に本を納入していた頃だから、(カローラのバンで)
よく覚えている。

あのころ、あのマンガチックな教団がやろうとしていたことが、
イワシやアジを空から降らせること」だったような気がする。

ところが、それは起きなかった。
”奇跡”は起きなかったわけだ。
というか、
”奇跡”を起こせなかったわけだ。

ところが、その頃、野方で、
本当の奇跡が起こっていた。

そう言うと眉唾ものに聞こえるだろう。
でも、それは、やはり、起こっていたのだ。
もちろん、オウムなどとはまったく関係なく。
(ぼくらは、あのマンガチックな教団を話題にしていたことは確かだが・・)

ベルリンの壁が崩れた。

そして、ぼくらは、教団を作らなかった。

もし、あのとき、教団を作っていたら、
奇跡は起こっただろうか?

きっと起きたに違いないと思う。

たぶん、宗教は神に関係している。
そして、その”神”とは、
”超自然”な存在だ。
そして、それはたぶん・・
人間と関係している。
否、人間を超越しているかもしれないが、
完全に”超絶”はしていない。

だから・・
奇跡は起こりえるのだ。
そして・・
奇跡も起こせない教団は、
所詮、まやかしなのだ。

野方では、奇跡が起きていた。

小説の中で、

そして、その奇跡は、
余りにも戯画的な
ちっぽけなものだっだ。
イワシとアジが空から降った」のだ。

だから
結論としてぼくがいいたいのは・・・
(結局、無意味なたわごとにすぎないのだけれど・・・)
あの小説は、
アストラル小説だということだ。

そして

ぼくは、半分アストラルの世界にいるから、

そして、

ぼくは小説家になれないから、

でも、

きっと、何らかの思考の波動を世界に振り撒いているのだろう。

だれかが、

何かを感じ、

それを物語りにする。

でも、真相は明らかにされることなく

ただの物語となって

アストラル的に

人々の感情の世界に記憶されていく。

何があったのか!

あのとき、

ぼくらは宗教を作ろうかと、冗談を話していた。

そうしたら、きっと、

偽物は黙り込むだろうと。