来年なりたいもの

太陽には、太陽星人が住んでいるという。
きっと、真昼の太陽光線に照らされて、眩しく、静かな世界なのだろう。
 
最近、冬の太陽は低く輝いている。
眩しい光を見ていると
太陽が懐かしく感じる。
静かで、無音で、慈悲深い。
 
ところで、今更アイデンティティーの話でもないが
生きていることって不思議だ。
個人が個人として存在することが不思議だ。
そのメカニズムを考えている。
 
夜眠ると夢を見る。
自我意識が希薄になる。
ところが目を覚ますと、自分になっている。
いつ、意識は自己に焦点を合わすのだろう。
自己という確固とした実体など存在しないようにも思える。
しかし、目を覚ますと自分になっているのは何故か。
 
肉体は、確かに一つだけで、
それを支配しているのは、自分の意思だ。
眠っているときは、自律神経だけが体を維持している。
意識は、体に関与していない。
だから、自我意識が希薄になるのだろうか?
 
ちがう。
論理的だが、多分違う。
 
多分、脳が自己なのだ。
脳が自分を自分だと主張しているような気がする。
眠っているときは、脳は別の働き方をしている。
意識は脳に支配されていない。
だから、自己に縛られずに夢を見ていられる。
 
脳が目覚めると同時に、
誕生から今まで蓄積してきた膨大な記憶のデータバンクも同時に起動される。
そうすると、まるで一つのアイデンティティーが存在するように
脳が記憶を引き連れて、自己を主張し出す。
 
たぶん、できのいい脳なら、それも快感だろう。
しかし、できの悪い記憶の累積の上に立っている脳は
脳の自己を、記憶の自己を、自己として認識するのを
無意識のうちに拒んでいるようにも感じる。
私のように・・・
多分、それは精神の病と呼ばれるのかもしれないが、
そうした自己意識は、当人しか分からない。
だから、そのメカニズムそのものを分析することも
感覚的であって、
当人しか分からないだろう。
 
なんのことだか分からなくなったが、
私は、自分をアーティストとして自己認識しようと思う。
アーティストという呼び方もあまり好きじゃないが、
芸術家なんていうのも、大げさすぎるし、
ペインターとか画家なんて、平面作品に限定するのもどうかと思う。
だから、一応、いい作品が作れる何者かと自己認識すると
いい作品が作れるような気がする。
 
来年は自分は誰でもない、
ただのペインター、作品を作る何者かとしての自己に焦点を絞り、
何か価値あるものが、そいつによって作り出されればいいと思っている。