来日した大統領へ

 先日、ブッシュ大統領が来日した。
 金閣寺を見学してすぐに韓国に飛んで行ってしまった。
 911テロのときは、あんなに人気があったのに、今では見る影もないくらいの凋落ぶり。カトリーナのおかげかもしれない。
 
 ところで、2003年に受講した『世界平和』の授業で提出したレポートを、ここに貼り付けることにする。
 ブッシュさんはこれを決して読まないだろうケド・・・
 民衆はバカじゃないことを、ブッシュさんにも理解していただきたい。
 ちなみに、水島先生は国際法の専門家である。
 
 
  『水島先生の講義を受講して』

                       第二文学部 表現芸術系専修 1年
 
 1948年に公布された『世界人権宣言』の前文に「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」とある。そして、この平等で譲ることのできない権利とは、第三条にあるとおり、「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」ことである。
 この最も基本的な人権は、いかなる理由によっても犯すことのできない、人間として守られるべき最低限の権利であるのは当然のことのはずである。しかし、この基本的人権が侵害されたとき、それをどのように守るのかということになると、未だに人類社会共通のルールは確立されていないように思う。
 
 ところで、「基本的人権の大規模な侵害から当該国の国民を保護する目的で、当該国の意思に反して、その主権領域を軍事的に侵害すること」(M.Pape) が、「人道的介入」だとして、軍事行動=暴力が正当化されてきた事例を、水島先生の授業で学んだ。
 もし、今回の“大量破壊兵器の廃絶とテロリストの根絶”を目的としたイラクへの米英の軍事行動も、この「人道的介入」の延長線にあるものとして理解できるのなら、イラク旧政権を他国が軍事的に転覆することも、国連で容認されたのかもしれない。
 しかし、水島先生の2003年3月24日の「国際法違反の予防戦争が始まった」にあるとおり「予防的自衛措置が自衛権に含まれるという解釈は、国連憲章51条からは出てこない」のは誰の目からみても明らかである。したがって、国連も米国の軍事行動を容認しなかった。
国連憲章51条:この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合、・・・必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。)
 
 しかし、「人道的介入」に、軍事力を使用し、主権領域を侵害することが、そもそも許されるのだろうか。もし、許されるのなら、どのような時、どのような条件のもとで、誰によって承認されるのだろうか。
 R・ショルツ教授の「予防戦争は正当たりうる」という論考では、「核・生物化学兵器などの大量破壊兵器がテロリストによって使用される危険に対して、戦時国際法の古典的は手段、特に抑止的な自衛や武力行使の原則では十分ではない」とし、「個別的・集団的自衛権は性質上、正当な予防的自衛措置の枠内にある。国連もNATOも、このことを早急に受け入れなければならない」と、新しい“予防的自衛措置”の解釈を主張した。
 しかし、水島先生はそれに対し、国連憲章51条では、実際に「武力攻撃が発生した場合」に限り、「必要な措置をとるまでの間」のみ自衛の権利を害するものではないとされているのであって、R・ショルツ教授の論考は「論理的にもかなり無理があり、とうてい支持できない」と述べている。
 
 ところで、現実に目を転ずれば、フセイン元大統領が捕まった今日、今だに大量破壊兵器は見つかっていない。したがって、現段階では、今回の米英のイラク攻撃を「人動的予防戦争」として容認できるいかなる根拠もなかったことになる。だとするなら、今回の米英のイラクに対する攻撃は、誤認による主権国家の政権転覆であったことになる。それとも、はじめから「人道的予防戦争」を口実にした「侵略戦争」であったのだろうか。
 
 テロの標的となる西側先進国の石油・軍需・金融メジャーの“生命、自由及び身体の安全に対する脅威”を払拭するためだけに「予防的自衛策」として軍事行動をとったのなら、それは、過剰防衛による他国の主権侵害として受け止められてもしかたがない。また、「イラク国民をフセイン政権の人権抑圧から解放するため」という大義が謳われ“イラクの自由作戦”と銘打たれ大規模な空曝が行われたが、もしそのような目的が真であるなら、「人道的軍事介入」は、最小限にとどめるべきであり、人権抑圧のファクターがなくなった時点で、ただちに軍隊を撤収させるべきであり、治安の回復のために必要な軍備は、当自国と国際社会の合意のもとで行われるべきである。
 また、R・ショルツ教授は「核・生物化学兵器などの大量破壊兵器がテロリストによって使用される危険」を危惧していたが、イラクでは、既に実際に米軍によって、劣化ウラン弾が使用され、イラク国民、米兵、その他、敵味方、国籍を問わずに「生命、自由及び身体の安全に対して」取り替えしのつかない侵害を与え、また、放射能汚染と遺伝子の損傷による悪性腫瘍の発生によって、罪もない子供の生命自由及び身体の安全を死ぬまで侵害し続ける現実を、彼はどのように受け止めるのだろうか。そしてこのような実際に起きつつある人権侵害に対して、いかなる「個別的、集団的自衛」が可能なのだろうかと、私は問いたい。
  
 実際、戦争を正当化している論客は、民衆の視点には立っていないような気がする。それがいかなる“予防的自衛措置”だったとしても、実際行われた戦争行為は、いったいどのような“法”によって正当化できる“殺人傷害行為”だったのだろうか。
 そのような思いもあって、私は、先日、九段会館で開かれた、水島先生が判事を勤められた「アフガニスタン国際戦犯民衆法廷」を傍聴した。そこで、証拠として提出されたビデオには、劣化ウラン弾による人道に対する明らかな冒涜が映しだされていた。
 罪もない子供が悪性腫瘍によって奇形化してしまった姿である。
 アフガニスタンでは、バンカーバスターなどによって500〜600トンもの劣化ウランが使用され、ウラニウム汚染は広島型原爆の8170回分に相当するという。半減期が45億年というこのウラン238について、元ローレンス・リバモア研究所の科学者ローレン・モレさんの証言によって、劣化ウランは燃焼すると超微粒子の酸化イオンとなって数1000マイルも飛散し、それを吸った人間の体内で被爆する殺傷兵器であることが明らかにされた。また、米国の「劣化ウラン弾は貫通性に優れているから使用しているのであって、人体への影響はない」という主張に対して、ローレンス・モレさんは、「1943年のマンハッタン計画のときから、ウラン238の殺傷能力は知られていた」と証言した。さらに、第4核兵器の開発の、いわば核実験場として中東湾岸諸国を使っているのではないかという疑惑も指摘された。米エネルギー省は、核廃棄物であるウラン238を既に100万トンも保存しており、置く場所に困っているため、米軍需産業に安価で売れることを歓迎しているという恐ろしい実体も指摘された。
 このような告発によって、非可逆的に永遠に地球環境の汚染と無差別的な殺人が行われていることが明らかになっているにもかかわらず、国連も国際社会も誰も声を上げないのは何故なのだろうか。
 
 国連は、国家間の利害の調整機関である。しかし、そこに経済的軍事的超大国が存在するとき、その超大国の意向に反しないことが、そのまま各国の利益につながる構造が、既に地球規模で出来上がってしまっているのかもしれない。もしそうだとするなら、いかなる国家も、米国の犯罪を誰も告発できないことになる。
 唯一、国民としてのアイデンティティーや、職業、民族、宗教としてのアイデンティティーを有する以前の、“生命と自由”だけを有するただの裸の人間としての“私”が、ただありのままに現実を見たとき、国家、宗教、所属を問わず、ただの人間として、弱いものが、軍事的経済的に強い者に搾取され、生命財産自由を脅かされていることを直視できるのかもしれない。
 しかし、実際には、国家の理論やプロパガンダ、メディアによる洗脳、その他ありとあらゆる情報が錯綜し、何が正義で何が現実なのか分かりにくくなっているような気がする。
 民衆が求めているのは、ただの“平和”だけである。しかし、その平和を守るためには、弱いものに対する同情と共感を基礎とした新しい人類共通の法制度=民衆が権力者を告発できる司法制度が確立されなければならず、そのとき初めて、真に平等な「人権の抑圧に対する予防措置」が可能になるのではないかと、私は強く感じた。