サバイバー VS 金閣寺

 
 
 チャック・パラニューク著、サバイバー読了。
 
 本当はポーラニックと読むのが正しいらしいが、パラニュークとなっている。
 パラノイヤ的でニュー(新しい)感じがして、こちらの方がいいのかもしれない。
 
 言わずと知れた「ファイト・クラブ」の著者。
 デビッド・フィンチャーによって映画化された。
 これを見て”カッコイイ”と思い、原作者はどんな人なのだろうと思って、本を読んだ。
 
 ファイト・クラブ、原作もさることながら、やっぱりデヴィッド・フィンチャーってすごい監督だと思った。
 原作を忠実に再現しているばかりか、それ以上の出来だ。
 普通は、本を読んで映画を見ると、だいたい原作をはしょっていて、見ていてがっかりするものだが、
 順番が逆だったからそう思ったのだろうか?
 いや、原作を読んでから再度(何回も)DVDを見直したが、この映画は、何度観てもカッコイイ。
 ブラピがカッコイイのはさることながら、エドワード・ノートンが最高の演技を見せている。
 僕が今まで見た中で一番好きな映画。
 
 著者のパラニュークは、案の定、アメリカでは教祖的存在になっているらしい。
 自らの著書の朗読会では、何十人もの聴衆が毎回”失神”するらしい。
 
 「サバイバー」は、あまりにも過激なので、映画化できなかったという。
 
 集団自殺したカルト教団の最後の生き残りが飛行機をハイジャックし、
 フライトレコーダに自分の人生を語ってきかせる物語。
 
 ブッシュが大統領の時代は終わり、
 アメリカは911から少しは立ち直って、
 今ではダブルタワーの崩壊、ペンタゴンへのアタック、ユナイテッド93のすべてが
 アメリカ政府の自作自演だったとネット上のほとんどみんなが知っている。
 誰もテロリストを”新しい戦争”の責任者だと言ってごうごうと非難できなくなった。
 ブッシュのアメリカこそ最低のテロリスト国家だったという訳だ。
 振り子は逆に振れる。
 そのアメリカ合衆国の新大統領が、核のない世界を演説しただけでノーベル平和賞受賞。
 そんな時代だからこそ、今こそ
 テロリストが英雄になる映画、サバイバーを、
 誰かハリウッドの勇気ある監督が、是非とも映画化してほしいと思う。
 
 ちなみに、著者のパラニュークの祖父は祖母を殺し(つまり祖母は祖父に殺され)
 父は愛人に殺されたという壮絶な生い立ちの持ち主、らしい。
 いかにも、カルト小説の教祖になる素質を生まれながらに持っていると言わざるを得ない。
 
 追記:
 
 最近、三島由紀夫の「金閣寺」を初めて読んだ。
 カッコよかった。
 そして、美しかった。
 最高に美しかった。
 ある意味、チャック・パラニュークのサバイバーの主人公、
 集団自殺したカルト教団の最後の生き残りテンダー・ブランソンよりも
 金閣寺を放火した丁稚の禅僧の方が、悲しく、孤独なのかもしれない。
 
 それにしても、美は、倫理とは相容れない。
 そして、美は、どうして、孤独の中からしか生まれないのだろう。
 
 社会的”常識”から隔絶され、徹底的に孤独になったとき、
 初めて見えてくる”美”がある。
 それを垣間見てしまった者は、自分こそ正気で、社会が狂気だと思えてくる。
 つまり、”醜い社会”は”美しい理想”にまったく気づいていない。狂人の集団だ。
 そのとき、美に自ら洗脳された者は、破壊者、過激な破壊者になる。
 矛盾しているが、しかたがない。
 美を創造することより、既存の”醜悪”を破壊する方が簡単だ。
 今でいう”テロリスト”の誕生。
 
 理想から、破壊が始まる。
 美から、倫理的秩序の破壊が始まる。
 
 もっとも過激な者は、もっとも孤独で悲しい”詩人”だ。