あけましておめでとう。

新年、あけましておめでとう。
本当は、普段と何も変わらないはずなのに、
たしかに新しい年になると、気分も新しくなったような気がするのは不思議だ。
そして、今年はこうして・・ああして・・と抱負を抱く。
しかし、一年が終わってそうなったためしがない。
だから、今年は、”抱負”など考えないことにした。
日々是好日。
たぶん、日々思い通りにならないことの方が多いと思うが・・
今年は、夜学を卒業するので、時間的に余裕が出来るのは確かだ。
でも、その時間を何に使うのかわからない。
たぶん、うだうだしながらまた一年過ぎていくのだろう。
それでもいいんじゃないか。
「今日は残りの人生の最初の日」なんて言わなくても、いずれ死が最後には待っている。
だから、「ポジティブに毎日を大切に生きよう」なんて言っても、
所詮、ぼくは、自分が”なぜ生まれてきたのか”さえわからないのだから、
与えられた時間を”有効に”使う使い方さえわからない。
偉いお坊さんは”悟り”を開いて”説法”するが、ぼくはこの”存在の神秘”そのものを
(つまり、宇宙が存在することそのことそのものが神秘であるところの”存在の神秘”)を
ただ、この”私”と伴に、”死ぬまで生きつづけるだけだ。
そこに、なんの”社会性”も”世俗”も存在しない。
もちろん、ぼくは”世俗”に生き、この日本の社会、そして、2007年の世界情勢の中に生きている。
しかし、そんな世俗で蠢く”価値観”で”存在そのもの”が成り立っているわけではなく、
それらのことは、”人間が考えた思考の世界の中のゴタゴタした関係”であって、
誰がどうしただの、誰が何をしただのということは煩わしいだけだ。
ぼく自身は、細々とでも、生きていけるだけの糧があれば、それこそ
「天の五光に身を温め、明日を思い煩わず、日々の糧に感謝して、野のゆりのように」
ただ、存在するだけでいい。
しかし、ぼくは悟っているわけではないので、煩悩もある。
だから、時々は、そうした煩悩である想像力によって、色々な”想像”(創造)をすることは、
勝手に回転する思考や空想のはけ口として、しかたなくしていることであって、
その過程で創作されてしまったモノに、本来”社会的”価値などないに決まっている。
そこに”他者”の係わる余地などない。
すべては自分のためにしていることに過ぎない。
そして、ぼくは2007年の今の時点では、それでいいと思っている。