中国の反日デモ

中国の反日デモ、何がそんなに群集を怒りに駆り立てているのだろう。

1、反日教育
2、ネットでの扇動
3、過去の歴史問題
4、教科書問題
5、領有権問題
6、靖国参拝
7、常任理事国入りについて
8、中国の資本主義化と経済格差の拡大
9、中国の一党政治体制

など、思いつくままに挙げてみたが、結局、問題なのは、過去の歴史認識の違いが根本的な問題なのではないか?
つまり、日本の中国における植民地支配と、太平洋戦争の終結
その歴史について、戦争の勝ち負けについての決着がついていないのではないか?

第二次世界大戦に日本は負けた。
中国は?
勝った?
日本に?

中国は「戦勝国」であり、日本は「敗戦国」だ。
喧嘩に勝ったのは、自分だと中国は思っている。
日本は負けたのだ。
一方、日本は、ケンカに負けた相手は、アメリカだと思っている。
アメリカが原爆を落とさなければ、日本は中国には負けなかったと思っている。
ケンカが、3つ巴、4つ巴になって、終わってしまったから、後で、遺恨が残る。
卑屈になる。
そして、日本は自ら「戦争責任」を取らなかった。
というより、戦争に負けた原因、負けた責任を、日本の国民の誰一人として、権力側にとらせようとしなかった。
戦争に勝ったなら、それで権力は維持されて当たり前だ。
しかし、負けたのだから、その責任は取るべきだろう。
しかも、その責任を追及するののは、権力者自体ではないのは明らかだ。
権力に支配されていた国民が、権力を裁くのだ。
敗戦の原因を分析し、そこで、誤った意思決定をした権力者を裁くのは国民の責任であり、義務のはずだ。
しかし、その発想自体、戦後のアメリカの「民主主義」を学んだから持ち得る発想で、当時、いくら日本が近代国家の仲間入りをしていたとはいえ、「国民主権国家」の発想は全くなかったのだろう。
だから、最高意思決定機関である当時の主権者である天皇は、国家が戦争に負けた責任を誰にも追求されなかった。
日本国民は、自ら歴史を検証しようともせず、戦争の原因、敗戦の原因、敗戦の責任を誰も分析もせず、糾弾しようともしなかった。
結局、GHQによって、東京裁判によって、戦争責任が裁かれ、戦犯が処刑された。
しかし、たとえば、731部隊の資料がアメリカに渡った見返りに、将校は放免され、戦後の製薬会社の重役になっているという話しも聞くし、そもそも天皇が裁判にかけられスラせず、何の責任も追及されなかったのは、一説には、マッカーサー天皇と会見したとき、自分の命乞いをしなかったために感動したという話しは有名だ。
しかし、全く逆の説もある。
マッカーサーは、フリーメーソンの33位階であり、天皇の命と引き換えに、天皇の財産を差し出すという密約が交わされ、天皇家がメーソンに入信たというものだ。(私が言っているのではないので悪しからず・・・大本教関係の誰かの著書に書いてあった・・・名前は失念した。)
なにはともあれ、戦後、アメリカ主導で、戦争責任問題は決着した。否、したかに見えた。
しかし、それでよかったのだろうか?

日本人は白人コンプレックスで、アメリカの白人を見ると、妙に自己卑下し、卑屈になる。
一方、アジアの同胞に対しては、同じモンゴロイドであっても、妙に尊大になり、威圧的になる。
第二次世界おおげんかで、白人のロシア人に戦車で破れ、白人のアメリカ人に原爆を落とされて負けたから、それがトラウマになって卑屈になっているのかもしれない。
一方、かつて植民地支配していた、朝鮮、中国に対しては、「アメリカやロシアに負けたのであって、お前に負けたわけじゃないぞ」と言わんばかりに、尊大になり、堂々と「靖国」を参拝する。
戦前の天皇崇拝の国家神道が、誤りであったと未だに認めていないのか、神社に参拝する。
これは私は異常だと思う。
戦争でなくなった英霊を慰霊しようというのなら、少なくとも、その誤った戦争を扇動した国家神道の宗教体系の中で、慰霊しようというのは霊も決して喜ばないと思う。
しかも、「無宗教」と自ら任ずる日本人、政治家が、何故、慰霊だけは、国家神道で行うのか?
靖国神社のすぐ向かいには、「千鳥が淵戦没者霊園」が立派に存在している。そこは多分、無宗教の霊園だと思う。私も一度参拝した。
本当に、二度とあのような悲惨な戦争が起きないように心から戦争で亡くなられた霊を反省と、お詫びと、お悔やみをもって慰霊するなら、「千鳥が淵」に参拝するべきだと思う。
というわけで、何を書いているのかわからなくなったが、・・・そう、中国と日本の歴史認識の違いについて、・・・日本が先のおおげんかをそんな風にしか認識していないものだから、そして、白人コンプレックスのモンゴロイド蔑視だから、中国や韓国朝鮮が、それこそ、土足で人の家に上がりこんで仲良くしようと言っただけだといくら日本が主張しても、冗談じゃないと怒るのも無理はない。
戦後の補償も行われていないじゃないか!謝罪も行われていないじゃないか!と何度でも言う。
一方、日本は、何度も、天皇ですら、「遺憾の意」を表明したじゃないか!ODAは世界で一番行っているじゃないか!円借款も行っているじゃないか!まだ金がたりないのか!虫がよすぎるぞ!と言う。
しかし、それならそれで、ひも付きゼネコン付きのODAなどではなく、日本の政治家は潔く、戦争に対する補償として、きちんと予算をつけて金を出すべきではないのか。そして、ただ現在の権力者が遺憾の意を表明しているだけではなく、主権者である国民が、戦争の原因と敗戦の責任を分析し、糾弾するものは糾弾し、自ら反省するところははんせいしなければ、依然として、日本は、「大政翼賛会」から脱却できないだろう。
ものの本を読むと、軍隊の統帥権天皇にあり、軍隊は統帥権は独立していると主張して、時の政府からも分離し、政府の誰もコントロールできなくなり、ついに二重主権(権力)国家となったのが、そのそもの“戦争”の原因であるように書かれている。しかし、その統帥権を持っていた本人である天皇は、例えば226の首謀者を自ら裁いたと言われているように、満州事変を起こした関東軍を自ら裁けなかったのか?不思議である。しかも、当時の新聞、そして大衆、政治家も、こぞって「イケイケドンドン」だったらしいから、最高権力者の天皇に責任の全てを押し付けるわけにはいかないのは当然だ。しかし、そのような政治体制、意思決定システム、憲法に問題があったのなら、当然、そのときの最高権力者の責任は第一に追及されて当然だろう。しかし、明治維新以来、近代国家というのは名ばかりで、天皇という「権力」を担いでの薩長クーデターを、あたかも市民革命の如きに未だに錯覚しているオメデタイ国民国家だから、未だに西洋には勝てないし、同等に議論もできないのだ。
何も、ヨーロッパの近代思想が至高の思想だとは思わない。東洋には東洋の独特の文化があり、思想があって当然であり、独自の国のあり方があって当然だ。しかし、それを模索する代わりに、安易に近代思想を上っ面だけで輸入し、それで、近代国家の仲間入り、ひいては植民地支配まで猿真似した「歴史」が、未だに反省されていないのではないか?
逆に、中国にも韓国朝鮮にも同じことが言える。近代化の過程で、東洋は、本来なじまないはずの西洋思想を安易に取り入れて国家を建設しようとした。中国には老子もいるではないか。しかし、つまるところ、戦争だ。近代テクノロジーの戦争だったのだ。物量、地下資源資源、テクノロジー。それが、現代のパラダイムを決定づけている。その反省が、21世紀になって始まりつつある。そのとき、アジアもアメリカもヨーロッパもない。カテゴリーの崩壊である。キリスト、ユダヤイスラームも無い。もっとおおきなカテゴリー、えぴすてーめの転換。地下資源、土地、植物、動物、金融、テクノロジーである。それを誰が支配するのかではなく、どうやって分配するのか。たぶんそういう時代になってきているのだと思う。