たまのこと

ご要望にお答えして、取り急ぎ、たま出版のことについて書こう。
 
その前に、誰か“たま”に居たことのある人でこれを読んでいたら、コメント書いてね。
 
当時、たま出版には、社長と僕を含めて、あと2、3人しか正社員はいなかった。
 
もちろんその一人は、ニラサワさんである。
彼のことは、またそのうちに書くとして(こてこてのアダムスキー派ではあるが・・・)、それよりも重要なのが、当時、「精神世界フォーラム」なる大会を、たま主催で大々的に開催していたことだ。
フォーラムには、日本の主だった精神世界関係の団体、研究者、教祖が網羅的に所属していた。
いちいち全てを覚えているわけではないので、団体名の固有名詞は挙げないが、バラ十字から古神道まで、大別すると、新興宗教系、予言系、超能力系、秘教系、超心理学系、神道系、道教系、ニューサイエンス系、気功系、ユング系、超能力グッズ系、などなど・・・
そして、当時、チェネリングが流行り始めたころで、実は、シャーリー・マクレーンのアウト・オン・ア・リムも、最初はたま出版に持ち込まれたが、ニラサワ編集長の判断で没になり、他の出版社に行ってしまったらしいという話しまである・・・が。(シャーリーはフレアデス系で、アダムスキーと相性が悪いからだろうか?・・・)
さて、そうそう・・・当時、チャネリングが流行り始めた頃だと言えば、いつ頃か想像がつくだろう。そして「国際ニューエイジ協会」は、なんと、「精神世界フォーラム」開催時に旗揚げされた団体なのだ。たしか、公開チャネリングの席で、チャネラーがサンジェルマンか誰か(記憶があいまいで本当に申し訳ないが・・・)アインシュタインか誰かをチャネリングして、会場に集まっている聴衆に向かって、「その使命があると確信する人は名乗り出るように」言われ、その有志で発足された団体なのだ。ちなみに僕もたま社員でありながら、手を上げた。山川さんとお話をしたが、僕は結局は参加しなかった。それというのも、前世をチャネリングしてくれるチャネラーを無料で紹介すると言われたが、僕は、前世は今生では知らないほうがいいと思ったので、辞退したのだ。
ところで、本当の僕の使命は、この「精神世界フォーラム」を潰すことだった。
たまの社長はなくなってしまったが、ご健在の間、このフォーラムが存続していたら、かなりの活況を呈していただろう。当時、既に、家の光会館が満員になる大会だった。
しかし、それをお開きにしたのである。
当然、赤字であったし、フォーラムのために、出版社とは別に社員を2名抱えていた。
そして、ここが重要だが、このフォーラムは、デカくなると、別な組織に利用される危険があったのだ・・・と思う。実はあとから僕は客観的にそう思ったのだが・・・
その組織は、社長に1兆でも2兆でも出せると言ったそうだ。1億、2億ではない。1兆、2兆の単位だ。何の組織か判るだろうか? 僕には判らない・・・。
その他、有象無象の輩(といっては失礼だが・・・)宇宙人やなにかまで目を付けられていて、当然、霊界や幽界の諸霊や諸精霊にも目を付けられていて、当時は、1999世界滅亡が叫ばれていた頃で、日本に “別のなにか” が・・・つまり “救世主” が現われると噂されていた頃でもあり、当然、精神世界フォーラムは、それがデビューを飾るためのお膳立てとしては格好のヒノキ舞台となる精神世界統一の運動でもあったのだ。
さて、それをお開きにするには、鎌田さんという元、日本心霊協会の事務局の方が奔走した。実は、彼がこのフォーラムを作った黒子でもあったのだが、お開きにするにも彼が奔走した。そして、僕がちょうどそのときたま出版に入社したとうわけだ
フォーラム専用の2名の社員は、前述の鎌田さん(精神世界には多分当時で一番顔がひろかったのだろう)と、もう一人、とても若い男の子だった。(名前は失念した。)彼は“宇宙連合”とのコンタクティーと知り合であった。二人とも、ほとんど給料もろくに支払われないまま、精神世界フォーラム専用の事務員として、たま出版の二階の事務所に毎日常駐していた。
ある日、社長が・・兆投資するという謎の組織から招待され、海外旅行に出かけたとき、僕ら3人は、事務所で酒を飲んで会合を開いた。それが転機だったと思う。社長一人では何もできない。実は彼が動かしているつもりでも、フォーラムの運営は、黒子たちが演出していたのだ。それが精神世界の摩訶不思議な点でもある。
結局、僕は雑誌「たま」に「たまマインドネットワーク」なるページを増設することを提案した。そして、そのページに、精神世界フォーラムは吸収され、消滅した。
僕は、以前編集プロダクションにいたことがあり、出版や編集についての知識はそれなりにあった。校正だって、ニラサワさんよりもできると思っていた。(実は、たまの本を、たま出版で仕事が暇なときに読んでいて、かなりの誤植を見つけた)
ところが、僕は、編集はさせてもらえず、本を取次店に発送する業務を行っていた。書店からの注文を受けたり、カバーを付け替えたり、取次店に車で本を運んだり、伝票を書いたり・・・。だから、僕が精神世界フォーラムに関わっていたとは誰も思わないだろう。そしてそれをお開きにする仕事をしたのだとも、誰も思わないだろう。それが続いていたらどうなっていたか、も、誰も判らないだろう。
僕は、Yさんに鎌田さんを紹介され、たまに入った。
僕の仕事は、フォーラムをお開きにすることだったのだ。
Yさんもはっきりと言ったのだ。あんなの潰してしまえと。
今となっては、僕が誰だか判らないだろうし、それでどうなるというわけでもない。
それに、それでどうした。というほどのことでしかない。
そんな話しだが、まだまだ、話しは尽きない。
武田さんが、これを読んでいるとは思わないが、あんなこともあったし、こんなこともありましたね・・・。
今では、たまの社長の息子が後を継いで、立派に出版社を経営し、ビルまで建てて、成長を続けている。息子さんとは、ちゃんと話しをしたことがなかったが、彼は経営者としての素質があるらしい。大物だ。社長譲り、否、おじいさんゆずりなのかもしれない。しかし、僕のいた頃は、本当に、いろいろな人が出入りして、トンでもないところでもあった。
本来、出版社とは、そういうところなのかもしれない。